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Channel: 錦之助ざんまい
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映画『祇園祭』ノート(2)

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 帝国ホテルに芸能担当記者を集めて、映画『祇園祭』の製作発表が行われたのは1967年(昭和42年)8月21日であるが、その時点では同年11月にクランクインする予定であった。しかし、それが延びに延びて、実際にクランクインしたのは翌年の1968年(昭和43年)8月12日であった(その前の7月17日に祇園祭山鉾巡行の実写を撮影しているが、これは、クランクインとは言えまい)。つまり、製作発表から約1年後、当初の予定から9か月も遅れたわけだ。
その間に、何があったかについては、後述したい。

 実は、初めて公に『祇園祭』の製作が発表されたのは、8月19日の土曜の夕刻、京都府庁が主催する夏の恒例行事「二百万人盆踊り」大会においてであった。場所は府大グラウンド、1万人以上の市民が集まったのではないだろうか。マスコミ関係者も各社から取材に来ていた。
 午後7時から開会式が始まり、富井京都市長のあと、蜷川虎三京都府知事が挨拶に立ち、ゲストの錦之助を紹介。

「錦之助と虎三、まことにおかしな組合せだが、こんど『祇園祭』というたいへんな映画を製作します。永田さんとか、大川さんとかいう資本家から、京都町衆の手に映画を取り戻す大事業であります。一つ、府民のみなさんのご協力をお願いしたい」

 蜷川知事は、「府政百年記念」事業の一環として『祇園祭』製作というアドバルーンを景気よく打ち上げたのである。
 続いて錦之助がマイクの前に立ち、おそらく、いつものように簡単に挨拶。
「ぼくがずっとやりたかった映画です。がんばります。お引き立ての方、よろしくお願いいたします」と言って、深々と頭を下げると、会場に集まった市民は万雷の拍手を送ったにちがいない。
 錦之助と蜷川知事、富井市長が固い握手を交わすのを見ながら、仕掛け人の竹中労は、「かくてカブラ矢は弦を離れた」と感じたという。


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