最近、「錦之助映画ファンの会」の数名の女性の方から電話連絡をいただき、ニュープリントにできなかった作品『紅顔無双流 剣は知っていた』に対する、落胆、失望、そして、やり場のない憤懣をお聞きした。居ても立ってもいられなかったのだろう。残念さと怒りが入り混じった気持ちを錦ちゃんファンの誰かに伝え、その気持ちを分かち合いたかったにちがいない。錦ちゃんが演じた眉殿喬之介、あの孤高で凛々しい美剣士を、もう二度と映画館のスクリーンで観られない。『紅顔無双流』のニュープリントが作れなくなったという報告は、ファンの会の皆さんに予想以上の大きなショックを与えたようだ。ある熱烈な女性ファンなど、布団をかぶって二日間寝込んでしまったという。残念を通り越して、もう悔しくてたまらないといった様子であった。
ファンの会には、現在約80名の会員がいるが、そのうち60名は女性である。その60名のうち約40名は、「笛吹童子」世代であり、リアルタイムで錦ちゃんの映画を観て熱心なファンになった方々で、彼女たちのほとんどは、美しい錦ちゃんが好きなのである。かく言う私は男であり、昭和30年代以降にファンになった若輩者なので、錦之助が演じた役柄の好みがいささか違う。お澄ましした二枚目の錦ちゃん、メイクで美しい顔を作った錦ちゃんもいいが、どちらかと言うと、二枚目半で元気いっぱいの錦ちゃん、茶目っ気のあるやんちゃ坊主の錦ちゃん、素顔に近い錦ちゃんの方が好きなのだ。だから、正直言って、熱烈な女性ファンとは合わない面もある。錦ちゃんの女形を熱愛したり、美少年、美青年に扮した錦ちゃんに胸ときめかせる彼女たちの気持はどうも共感できないところがある。『紅顔無双流』がスクリーンで観られないことは、もちろん私も残念でならない。しかし、錦ちゃんファンのお姉さま方が、なぜそんなに『紅顔無双流』の眉殿喬之介にこだわるのか、頭では理解できても、その思い入れの強さはどうも実感できない。確かに、錦之助のいわゆる美剣士ものの中で、眉殿喬之介は魅力満点、多分ナンバーワンであろう。が、それはあくまでも女性の目から見た魅力なのだと思う。この映画がことのほかお好きな女性ファンと話をしていて分かったことは、当時女子高校生あるいは中学生だった皆さんは、錦ちゃんの眉殿喬之介を見て、胸高鳴らせ、乙女心をむんずとつかまれたのだそうだ。つまり、この映画で決定的に錦ちゃんファンになった。言い換えれば、彼女たちは、精神的に錦ちゃんと結婚したのである。それほど女性ファンにとっては欠けがいのない映画であるから、ニュープリントができなくなったと知って、寝込んでしまうほどのショックを受けたのは当然なのかもしれない。
ところで、電話で皆さんから励ましもいただいた。いや、要望といったほうがいい。それは、このブログに、錦ちゃんの話を何でもいいからもっと書いてほしい、少しでもいいから、間をあけずに、マメに書くように、ということだった。極力、心がけたいと思う。
ファンの会には、現在約80名の会員がいるが、そのうち60名は女性である。その60名のうち約40名は、「笛吹童子」世代であり、リアルタイムで錦ちゃんの映画を観て熱心なファンになった方々で、彼女たちのほとんどは、美しい錦ちゃんが好きなのである。かく言う私は男であり、昭和30年代以降にファンになった若輩者なので、錦之助が演じた役柄の好みがいささか違う。お澄ましした二枚目の錦ちゃん、メイクで美しい顔を作った錦ちゃんもいいが、どちらかと言うと、二枚目半で元気いっぱいの錦ちゃん、茶目っ気のあるやんちゃ坊主の錦ちゃん、素顔に近い錦ちゃんの方が好きなのだ。だから、正直言って、熱烈な女性ファンとは合わない面もある。錦ちゃんの女形を熱愛したり、美少年、美青年に扮した錦ちゃんに胸ときめかせる彼女たちの気持はどうも共感できないところがある。『紅顔無双流』がスクリーンで観られないことは、もちろん私も残念でならない。しかし、錦ちゃんファンのお姉さま方が、なぜそんなに『紅顔無双流』の眉殿喬之介にこだわるのか、頭では理解できても、その思い入れの強さはどうも実感できない。確かに、錦之助のいわゆる美剣士ものの中で、眉殿喬之介は魅力満点、多分ナンバーワンであろう。が、それはあくまでも女性の目から見た魅力なのだと思う。この映画がことのほかお好きな女性ファンと話をしていて分かったことは、当時女子高校生あるいは中学生だった皆さんは、錦ちゃんの眉殿喬之介を見て、胸高鳴らせ、乙女心をむんずとつかまれたのだそうだ。つまり、この映画で決定的に錦ちゃんファンになった。言い換えれば、彼女たちは、精神的に錦ちゃんと結婚したのである。それほど女性ファンにとっては欠けがいのない映画であるから、ニュープリントができなくなったと知って、寝込んでしまうほどのショックを受けたのは当然なのかもしれない。
ところで、電話で皆さんから励ましもいただいた。いや、要望といったほうがいい。それは、このブログに、錦ちゃんの話を何でもいいからもっと書いてほしい、少しでもいいから、間をあけずに、マメに書くように、ということだった。極力、心がけたいと思う。