三喜雄が、企画部長の辻野公晴とともに、東京・笹塚にある内田吐夢の家を訪ねたのはクリスマス過ぎであった。年を越す前に、挨拶と簡単な打ち合せだけはしておきたかったからだ。
辻野は、吐夢とは戦前から旧知の間柄だった。三喜雄は、吐夢と京都撮影所で挨拶をする程度で、直接会って話したことはない。巨匠吐夢の作品のプロデュースを担当するのも初めてなので、緊張していた。
数日前、吐夢を訪ねた鈴木尚之が、「吐夢さんが監督を快く引き受けてくれたので、ほっとしたよ」と言っていたが、三喜雄も同じ気持ちだった。弟の錦之助が快諾することは分かっていたので、最初に鈴木から吐夢に打診してもらったのだ。鈴木の話では、錦之助が主演することも、成沢昌茂がシナリオを書くことも、喜んで了承したという。
「梅忠」映画化の話が持ち上がって、わずか一週間で、監督、脚本家、主演者が決まったのだが、まだこれから先が大変であることは、三喜雄も十分承知していた。本社の企画会議にはかったところ、幹部から消極的な意見が出て、まだ製作決定にまでは至っていない。大阪の商人と遊女との悲恋話では、立ち廻りもなく、東映向きではない、というのである。
「会社も慎重になるんだよ。それに吐夢さんが監督するとなれば、大作になること間違いないし、金も日数もかかるからな」と辻野が言った。
「錦之助もやる気満々ですし、なんとか企画が通るようにぼくも頑張りますので、よろしくお願いします」と三喜雄は辻野に頭を下げた。
辻野は、マキノ光雄亡きあと、企画段階で錦之助出演作のほぼすべてに関与し、また、三喜雄が錦之助主演作品をプロデュースするのをこれまでずっと積極的に支援してきた人物である。沢島忠監督の『一心太助』と『殿さま弥次喜多』シリーズ、柴田錬三郎原作の『源氏九郎颯爽記』『剣は知っていた 紅顔無双流』、そして『風と女と旅鴉』『浅間の暴れん坊』などはすべて、三喜雄(タイトルでは小川貴也)と辻野の共同プロデュースであった。
「吐夢さんにもきっと何か考えがあると思うんだ。巨匠、あれでいてなかなかの戦略家だしなあ」
東映内では皆、吐夢のことを、畏敬の念を込めて「巨匠」という名で呼んでいる。それは、彼の映画だけでなく、体格もまた、並外れてスケールが大きいためである。撮影中は怖くて近寄りがたいが、普段は温顔に微笑をたたえ、言葉遣いも丁寧で、人当たりもよい。
吐夢は、愛想よく辻野と三喜雄を迎えた。
「鈴木君から話を聞いて、近松のああいう世話物を東映でやるのは難しいんじゃないかと思ったんですけどね」と言うと、吐夢は話を続けた。
「東映の時代劇は、侍かやくざが主役で、チャンバラが売りものですからね。わたしが前に撮った『暴れん坊街道』は、近松の原作でも親子の話で、現代にも通じるテーマでしたから、チャンバラがなくてもドラマになりましたが……」
「いやあ、あれはいいシャシンで泣けましたよ」と辻野は言った。お世辞ではなく、本当のことだ。三喜雄もすぐに辻野の言葉を継いで、
「ぼくもです」と言った。
「それで、今度の『梅川・忠兵衛』なんですが、亡くなった溝口さんならリアリズムで追い詰めて描くでしょうが、わたしは男女の情話みたいなものは苦手ですからね。近松が生きていた時代の大阪の社会的経済的な背景から男女の悲劇を描いてみようかと思っています。当時の大阪は商人が台頭して、金の力がものを言う社会が成立していたんですね」
辻野も三喜雄も頷きながら、吐夢の話を聴いている。
「これは成沢君とも話し合って決めなければならないことなんですが、テーマは、金が人間を支配する社会の中で反逆した人間の悲劇でしょうかね。今度の映画では封印切りが沸騰点になるんでしょうが、いろいろな内面的な葛藤があって、それが煮詰まって、封印切りという行動に至らしめたと解釈したいんです」
吐夢の弁舌はよどみない。「梅忠」の映画の内容が社会性を帯び、ぐっと深まってくるから不思議である。(つづく)
辻野は、吐夢とは戦前から旧知の間柄だった。三喜雄は、吐夢と京都撮影所で挨拶をする程度で、直接会って話したことはない。巨匠吐夢の作品のプロデュースを担当するのも初めてなので、緊張していた。
数日前、吐夢を訪ねた鈴木尚之が、「吐夢さんが監督を快く引き受けてくれたので、ほっとしたよ」と言っていたが、三喜雄も同じ気持ちだった。弟の錦之助が快諾することは分かっていたので、最初に鈴木から吐夢に打診してもらったのだ。鈴木の話では、錦之助が主演することも、成沢昌茂がシナリオを書くことも、喜んで了承したという。
「梅忠」映画化の話が持ち上がって、わずか一週間で、監督、脚本家、主演者が決まったのだが、まだこれから先が大変であることは、三喜雄も十分承知していた。本社の企画会議にはかったところ、幹部から消極的な意見が出て、まだ製作決定にまでは至っていない。大阪の商人と遊女との悲恋話では、立ち廻りもなく、東映向きではない、というのである。
「会社も慎重になるんだよ。それに吐夢さんが監督するとなれば、大作になること間違いないし、金も日数もかかるからな」と辻野が言った。
「錦之助もやる気満々ですし、なんとか企画が通るようにぼくも頑張りますので、よろしくお願いします」と三喜雄は辻野に頭を下げた。
辻野は、マキノ光雄亡きあと、企画段階で錦之助出演作のほぼすべてに関与し、また、三喜雄が錦之助主演作品をプロデュースするのをこれまでずっと積極的に支援してきた人物である。沢島忠監督の『一心太助』と『殿さま弥次喜多』シリーズ、柴田錬三郎原作の『源氏九郎颯爽記』『剣は知っていた 紅顔無双流』、そして『風と女と旅鴉』『浅間の暴れん坊』などはすべて、三喜雄(タイトルでは小川貴也)と辻野の共同プロデュースであった。
「吐夢さんにもきっと何か考えがあると思うんだ。巨匠、あれでいてなかなかの戦略家だしなあ」
東映内では皆、吐夢のことを、畏敬の念を込めて「巨匠」という名で呼んでいる。それは、彼の映画だけでなく、体格もまた、並外れてスケールが大きいためである。撮影中は怖くて近寄りがたいが、普段は温顔に微笑をたたえ、言葉遣いも丁寧で、人当たりもよい。
吐夢は、愛想よく辻野と三喜雄を迎えた。
「鈴木君から話を聞いて、近松のああいう世話物を東映でやるのは難しいんじゃないかと思ったんですけどね」と言うと、吐夢は話を続けた。
「東映の時代劇は、侍かやくざが主役で、チャンバラが売りものですからね。わたしが前に撮った『暴れん坊街道』は、近松の原作でも親子の話で、現代にも通じるテーマでしたから、チャンバラがなくてもドラマになりましたが……」
「いやあ、あれはいいシャシンで泣けましたよ」と辻野は言った。お世辞ではなく、本当のことだ。三喜雄もすぐに辻野の言葉を継いで、
「ぼくもです」と言った。
「それで、今度の『梅川・忠兵衛』なんですが、亡くなった溝口さんならリアリズムで追い詰めて描くでしょうが、わたしは男女の情話みたいなものは苦手ですからね。近松が生きていた時代の大阪の社会的経済的な背景から男女の悲劇を描いてみようかと思っています。当時の大阪は商人が台頭して、金の力がものを言う社会が成立していたんですね」
辻野も三喜雄も頷きながら、吐夢の話を聴いている。
「これは成沢君とも話し合って決めなければならないことなんですが、テーマは、金が人間を支配する社会の中で反逆した人間の悲劇でしょうかね。今度の映画では封印切りが沸騰点になるんでしょうが、いろいろな内面的な葛藤があって、それが煮詰まって、封印切りという行動に至らしめたと解釈したいんです」
吐夢の弁舌はよどみない。「梅忠」の映画の内容が社会性を帯び、ぐっと深まってくるから不思議である。(つづく)