Quantcast
Channel: 錦之助ざんまい
Viewing all articles
Browse latest Browse all 119

『浪花の恋の物語』(その4)

$
0
0
 錦之助が吉右衛門の忠兵衛を観たのはもう10年近く前のことであった。
 昭和24年3月、「恋飛脚大和往来」の「封印切」の場が新橋演舞場で再演され(昭和23年1月帝国劇場で上演され好評だった)、還暦を過ぎた吉右衛門が連日、忠兵衛を熱演していた。梅川は若き日の歌右衛門(当時芝翫)、八右衛門は脇役のベテラン市川團之助であった。
 当時16歳の錦之助は、同じ新橋演舞場でその前の演目に出演していたが、それが終わると顔を落として私服に着替え、客席に回って、食い入るように舞台を観ていた。
 その時の伯父の姿や顔つきが、断片的ではあるが今も錦之助の瞼に浮かんでくる。
 ふところの金を握り締め、全身をわななかせている姿。封印が切れて小判がこぼれ落ち、あわてて拾い集める姿。そして、小判を突き出して、勝ち誇ったように笑っている顔つき……。

 いつか伯父からこんな話を聞いたことを錦之助は覚えていた。
「梅忠」は、上方の義太夫狂言で、忠兵衛と孫右衛門(忠兵衛の実父で「新口村」の場で登場する)はもともとおやじ(三代目歌六)の当たり役だった。おやじは大阪生まれの上方役者だったから、成駒屋さん(初代鴈治郎)よりずっと前から忠兵衛をやっていたんだ。上京して、おやじは東京の舞台でも何度か「梅忠」をやっていた。私は子供の頃、おやじの忠兵衛を観て、覚えたんだ。
 それで、私は二十代の頃、市村座で一度忠兵衛をやったことがあった。おやじが孫右衛門だった。その時やった私の忠兵衛は評判が悪くて、それからずっとやらなかった。四十を過ぎてもう一度やったら、初日に病気になって、二日目からずっと休んでしまった。この年になって、また久しぶりにやって、やっと褒められたんだが、やり甲斐のある役だと思っている。
 
 忠兵衛の役は、あの世にいる伯父さんからの贈り物なのだろうか?
 いや、贈り物ではあるまい。芸に人一倍厳しかった伯父さんが自分に与えてくれたのは、きっと課題にちがいない。忠兵衛のような難役をどう演じるかという課題を出して、もっと演技の勉強をしろということなのだろう。
 そう考えると、喜んでばかりもいられない。忠兵衛をやるなら、気を引き締めて臨まなければなるまい。
 しかし、これでまた来年の楽しみが増えたと錦之助は思った。(つづく)



Viewing all articles
Browse latest Browse all 119

Trending Articles