Quantcast
Channel: 錦之助ざんまい
Viewing all articles
Browse latest Browse all 119

『浪花の恋の物語』(その2)

$
0
0
「監督は吐夢さんがいいと思いますけど……」と鈴木尚之が続けて言った。
 内田吐夢は、鈴木が最も敬愛し、また親しく接している監督であった。吐夢と仕事上の付き合いが始まったのは、『黒田騒動』(昭和30年秋に製作)からで、すでに9本の吐夢作品に関わって、企画準備やシナリオの完成に協力してきた。
 2年前に、吐夢は近松原作の映画を撮っていた。近松の「丹波与作・待夜小室節」、歌舞伎のいわゆる「重の井子別れ」を映画化した『暴れん坊街道』(昭和31年秋に製作)である。溝口健二監督作品の名脚本家であった依田義賢が溝口亡きあと、初めて吐夢と組んでシナリオを練り上げた。重要な役のキャスティングも吐夢の思い通りに行った。現代劇専門の佐野周二を主役の与作に抜擢し、重の井には山田五十鈴を迎え、さらに馬子の三吉に天才的な子役の植木基晴(千恵蔵の長男)をあてたのである。『暴れん坊街道』は、久しぶりに吐夢の演出が冴え、この三者が好演し(加えて千原しのぶも好演)、吐夢の戦後復帰第一作『血槍富士』以来の佳作になった。その勢いに乗って、吐夢が取り組んだ大作が『大菩薩峠』(第一部は昭和32年春の製作)であった。
 吐夢は、マンネリを嫌い、自分が作った映画のリメイクを断り、会社企画の映画でも常に何か新しいものに挑戦する気概をもって、一作一作、映画作りに打ち込んでいる。そんな吐夢が再び近松原作の映画を引き受けるかどうか、鈴木は思わず首をかしげた。
『大菩薩峠』三部作の完結篇は来年春に撮影予定であるが、それが終わったあとの吐夢作品は今のところ何も決まっていない。企画担当の鈴木も焦っていた。
 成沢昌茂は、最初、監督には松田定次かマキノ雅弘を頭に浮かべていたが、鈴木に内田吐夢はどうかと言われて、
「そうだ、吐夢さんがいい、いや、吐夢さんが最適かもしれない」と言った。
 成沢は、これまで吐夢の映画のシナリオを書いたことはなかったが、恩師の溝口健二から彼の話は聞いていたし、映画も数本見ていた。
 吐夢には溝口にない逞しさと論理があり、また溝口のように人間を冷徹な目でリアルに捉えるのではなく、吐夢はむしろ人間を主観的に見て、自己投影しながら描いていく傾向が強い。だから、溝口は異性の女を主人公にして描くのが得意で、吐夢は同性の男を描くのが得意なのだろう、と成沢は思っていた。
「吐夢さんなら、『梅忠』も線の太い映画になりますね。男と女の情話を新派みたいに描いても面白くないですからね」
 そう言われると鈴木も自信が湧いてきた。確かにマキノ雅弘なら、こうした題材はお手のもので、喜んで演出するだろう。が、しかし、レディーメイドな娯楽映画になることは目に見えているのではなかろうか。吐夢が監督すれば、人間の内奥に迫った芸術的な問題作ができるにちがいない。
「梅川にはだれがいいでしょうかね」と鈴木は成沢に尋ねた。
「東映にはいないような気がしますが……」
 鈴木も東映の女優たちの顔を思い浮かべてみたが、これぞという候補が見当たらなかった。他社から借りてくるか、フリーの女優を探すしかないかもしれない。成沢も同意見であった。
「まあ、梅川のほうは、錦ちゃんの忠兵衛が決まったら、考えればいいでしょう」
「そうですね」と鈴木も頷いた。
 こうして二人は渋谷で別れた。(つづく)



Viewing all articles
Browse latest Browse all 119

Trending Articles