『任侠清水港』で錦之助の石松を見た観客は、錦之助の変身ぶりに最初は驚いた。が、見ているうちに、錦之助が石松役にぴったりはまっているように感じ始め、その魅力に惹きつけられていった。お人よしで愛嬌のある錦之助の石松に共感を覚え、映画の途中からは、石松とともに喜び、がっかりし、悔しがって、観客はすっかり石松に感情移入していた。
錦之助ファンの反応も同じだった。最愛の錦ちゃんが森の石松をやると聞いて、熱心な女性ファンたちは皆、期待より不安を募らせていたが、映画を見て、そんな不安は吹き飛んでしまった。彼女たちは、錦之助の役に賭ける意欲も努力も知っていた。それだけに、石松に成りきっている錦之助を目の当たりにし、胸を熱くした。そして、映画館で一般の客が錦之助を感心して見ている様子を感じて、身内が褒められている時のように喜んだ。
錦之助の後援会「錦」は、昭和32年初めには会員数1万8千人を超え、そのほとんどが10代から20代初めの女子であった。会誌「錦」の第三十二号に、錦之助の石松について何人かの感想が載っているので、その一部を紹介しておこう。
――森の石松は錦ちゃんにピッタリでした。演技の昇進も目に見えてはっきりわかりました。自然、本当に自然でした。片目で、ともすれば、くずれがちな顔にも錦ちゃんの熱意のこもったメーキャップで、とても無邪気な、けがれのなさが出ておりました。
――錦之助さんは、二枚目のイメージを惜しげもなく捨てて、とぼけた味と人の良さと、いかにも胸のすく喧嘩早い石松になりきっての力演。人であふれる場内に笑いが絶えない。けれど、その三枚目ぶりのかげにつつまれている思い切った役柄にぶつかっていられる錦之助さんの峻烈な意気が、人知らずしのばれて、笑いながら泣いてしまいました。
――石松が、善意と明るさに満ちあふれた一途な情熱の人として描かれ、また錦之助さんもその石松を何のケレン味も嫌味もなく、サバッとやってのけた意欲の凄まじさを、私はこの身に痛いほどシミジミと感じます。
――今こうしてペンをとっていても、あの都鳥に闇討ちにされる場面が目にうかんできます。「親分……」といって倒れたあの石松の最期。とめどもなく流れる涙をどうすることもできませんでした。
新聞や雑誌の映画評も好意的だった、石松を意欲的に演じた錦之助に注目し、演技の成長と役柄の幅を広げた成果を評価した。
――二枚目スターの金看板に気がねせず、堂々、片眼で三枚目という森の石松をやってのけた心根は見事。演技また上出来。これで錦之助の芸域はグッと広くなった。(「近代映画」昭和32年3月号「今月の映画評」『任侠清水港』より)
映画評論家の南部僑一郎は、早くから錦之助に期待をかけ、応援してきた人だが、錦之助の石松に対し、惜しみない賛辞を送った。「近代映画」(昭和32年3月号)に連載中の「ぼくのスター評」に、南部は「美事な蝉脱―錦之助の石松を賞讃する―」と題して、こんな文章を書いている。
――今度の森の石松の役は、はじめから彼がぜひやりたいと大いに希望していたものだと聞いた。まことに美事な脱皮ぶりで、すっと胸のすく思いがしたものだ。錦之助の美男ぶりを賞する人々は、この善良だがみっともない、人にふられる役を好まないかも知れぬ。だが、いつも同じ美男よりも、こうした役が演技修業の役に立つことだし、第一、この次に美しくなれば、その美男ぶりが、もっと冴えてみえようというものである。彼がこの石松役をえらび、忠実に石松を演技したことにこの上ない大きな悦びを感じるのは、ぼく一人ではあるまい。少なくとも、昭和三十二年度初頭の錦之助は、新しい道に一歩を踏み出したと云えるだろう。
錦之助ファンの反応も同じだった。最愛の錦ちゃんが森の石松をやると聞いて、熱心な女性ファンたちは皆、期待より不安を募らせていたが、映画を見て、そんな不安は吹き飛んでしまった。彼女たちは、錦之助の役に賭ける意欲も努力も知っていた。それだけに、石松に成りきっている錦之助を目の当たりにし、胸を熱くした。そして、映画館で一般の客が錦之助を感心して見ている様子を感じて、身内が褒められている時のように喜んだ。
錦之助の後援会「錦」は、昭和32年初めには会員数1万8千人を超え、そのほとんどが10代から20代初めの女子であった。会誌「錦」の第三十二号に、錦之助の石松について何人かの感想が載っているので、その一部を紹介しておこう。
――森の石松は錦ちゃんにピッタリでした。演技の昇進も目に見えてはっきりわかりました。自然、本当に自然でした。片目で、ともすれば、くずれがちな顔にも錦ちゃんの熱意のこもったメーキャップで、とても無邪気な、けがれのなさが出ておりました。
――錦之助さんは、二枚目のイメージを惜しげもなく捨てて、とぼけた味と人の良さと、いかにも胸のすく喧嘩早い石松になりきっての力演。人であふれる場内に笑いが絶えない。けれど、その三枚目ぶりのかげにつつまれている思い切った役柄にぶつかっていられる錦之助さんの峻烈な意気が、人知らずしのばれて、笑いながら泣いてしまいました。
――石松が、善意と明るさに満ちあふれた一途な情熱の人として描かれ、また錦之助さんもその石松を何のケレン味も嫌味もなく、サバッとやってのけた意欲の凄まじさを、私はこの身に痛いほどシミジミと感じます。
――今こうしてペンをとっていても、あの都鳥に闇討ちにされる場面が目にうかんできます。「親分……」といって倒れたあの石松の最期。とめどもなく流れる涙をどうすることもできませんでした。
新聞や雑誌の映画評も好意的だった、石松を意欲的に演じた錦之助に注目し、演技の成長と役柄の幅を広げた成果を評価した。
――二枚目スターの金看板に気がねせず、堂々、片眼で三枚目という森の石松をやってのけた心根は見事。演技また上出来。これで錦之助の芸域はグッと広くなった。(「近代映画」昭和32年3月号「今月の映画評」『任侠清水港』より)
映画評論家の南部僑一郎は、早くから錦之助に期待をかけ、応援してきた人だが、錦之助の石松に対し、惜しみない賛辞を送った。「近代映画」(昭和32年3月号)に連載中の「ぼくのスター評」に、南部は「美事な蝉脱―錦之助の石松を賞讃する―」と題して、こんな文章を書いている。
――今度の森の石松の役は、はじめから彼がぜひやりたいと大いに希望していたものだと聞いた。まことに美事な脱皮ぶりで、すっと胸のすく思いがしたものだ。錦之助の美男ぶりを賞する人々は、この善良だがみっともない、人にふられる役を好まないかも知れぬ。だが、いつも同じ美男よりも、こうした役が演技修業の役に立つことだし、第一、この次に美しくなれば、その美男ぶりが、もっと冴えてみえようというものである。彼がこの石松役をえらび、忠実に石松を演技したことにこの上ない大きな悦びを感じるのは、ぼく一人ではあるまい。少なくとも、昭和三十二年度初頭の錦之助は、新しい道に一歩を踏み出したと云えるだろう。