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Channel: 錦之助ざんまい
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『浪花の恋の物語』(その7)

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『森と湖のまつり』で有馬稲子が演じた鶴子という役は、内地人のアイヌ研究家との結婚に失敗し、札幌から釧路へ流れて、カバフト軒というスナックを営んでいるアイヌ女性だった。主役の高倉健はアイヌ民族運動の闘士・風森一太郎といい、鶴子は一太郎と元恋人同士だったことから、今でも腐れ縁で結びつき、カバフト軒は一太郎の隠れ家になっている。
 有馬がカバフト軒のマダムとして登場するシーンは、映画の前半の重要な部分で、香川京子、三國連太郎、高倉健が扮する主要な人物がここに集まって、後半の波瀾に満ちたドラマへと発展する契機となる場面であった。有馬は、一場面とはいえ、不幸な過去を持つ女の役を、持ち前の研究心と体当たりの演技で見事に演じ、監督の吐夢の期待に十分に応えたのだった。メークを工夫し、北海道弁を使いこなして、情熱的で気性の激しいアイヌ人の美女になりきった。
 このシーンの撮影は、東映東京撮影所のセットで行われたが、吐夢は、不器用ながら懸命に演じる有馬稲子という女優が大変気に入り、もう一度使ってみたいと思った。それで、梅川役にはまっ先に有馬を望んだのである。

 当時、有馬稲子は松竹と優先本数契約を結んでいた。一年に5本、松竹の映画に出演すれば、他社出演もオーケーという条件である。それで、東映東京の『森と湖のまつり』に出演することができたのだが、撮影に加わったのはわずか3日間であった。有馬クラスの主演級女優となるとスケジュールの調整が難しく、撮影が長期に及ぶ他社製作の大作にヒロイン役で出演するのは困難な状況にあった。有馬が所属するプロダクション「にんじんくらぶ」が製作した大作『人間の條件』6部作(小林正樹監督)に有馬はヒロイン役を切望したが、それができなかったのもこうした事情によるものだった。

 三喜雄と辻野は、吐夢の口から有馬稲子の名前が出た時、頷きもし、賛成もしたが、吐夢の家を辞去したあとになって、二人ともこれは大変なことになったと思った。今度の映画は東京ではなく京都で撮影する時代劇で、有馬の役は錦之助の相手役とはいえ、ほぼ同等の主役である。しかも、内田吐夢が監督する以上、撮影に一ヶ月以上かかることは間違いない。東京に住む有馬がオーケーするだろうか。たとえ有馬がオーケーしても、はたして松竹が承諾するだろうか。それも疑問である。
「ともかく、まずは有馬稲子に直接交渉してみるしかないだろうな。吐夢さんも意欲的だし、東映本社のほうは大川社長を説得して、オレが何とかするよ」と辻野が言った。
「じゃあ、有馬さんにはぼくがコンタクトをとってみますよ。スケジュールは来年の夏くらいでしょうかね」と三喜雄が尋ねた。
「そうだな。秋には仕上げて、できれば芸術祭参加作品にしたいけど……」
「そうなるといいですね」
 二人は映画の実現に向けて互いに頑張ろうと言って別れた。(つづく)



『浪花の恋の物語』(その8)

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 錦之助が沖縄公演を済ませて、東京・青山の実家へ帰って来たのは、年も押し詰まった12月29日であった。その日の夕方、錦之助は三喜雄から、内田監督が梅川役に有馬稲子を望んでいるということを聞いて、「えっ!」と大声を上げ、顔をほころばせた。錦之助自身、頭の片隅で有馬稲子の梅川を思い浮かべていたからだ。錦之助はこれまでずっと有馬との共演を望んでいた。そして、そろそろそのチャンスが巡ってくるのではないかと思っていた。最近、有馬が時代劇に出始めたこと、そして、この秋に内田吐夢監督の東映東京作品『森と湖のまつり』に有馬が出演して、東映とのつながりができたことが、錦之助に有馬との共演の予感を抱かせたのである。
 実は錦之助が有馬稲子と共演するチャンスは、これまで二度会ったが、いずれも実現しなかった。
 一度目は、錦之助初の現代劇映画『海の若人』(昭和30年)だったが、相手役の候補に上がった程度ですぐに流れてしまった。有馬は、錦之助を16歳か17歳と勘違いして、「私のほうが年上だから若いツバメみたいに見えるんじゃない」と冗談を言ったところ、それがいつのまにか「錦之助なんかと共演するのはイヤ!」ということになって報道されてしまったらしい。錦之助は京都新聞を読んで、「なんだ、同い年のくせに、お高くとまりやがって!」と思って腹を立てたが、わざわざその記事を切り抜いてスクラップブックに貼ったのだという。第一印象は悪かったが、有馬稲子という女優に錦之助が強い関心を持ったのはこの時であろう。
 二度目は、マキノ雅弘が監督し、錦之助が若きジンギスカンを演じる予定だった東映東京作品『大成吉思汗(大ジンキスカン)』である。プロデューサーのマキノ光雄が錦之助の相手役に有馬を考えて交渉し、一度はオーケーをとったのだが、これも日程の都合で流れた。映画自体も昭和32年秋、撮影開始数日で中止になり、結局製作されないまま終わってしまったのだった。

「いいねえ。有馬さんなら申し分ないよ。兄貴、有馬さんに決めてくれよ」
 気の早い錦之助に兄の三喜雄も苦笑いしながら、
「そう簡単にはいかないよ。有馬さんがやりたがるかどうかも分からないし……」
「大丈夫だよ。叔父さんのつまんない相手役より、ずっとましさ」
 錦之助の言う叔父さんの相手役というのは、木下順二の民話劇を山本薩夫監督が映画化した時代劇『赤い陣羽織』(歌舞伎座映画製作、松竹配給)に叔父の中村勘三郎が主演して、そのマドンナ役を有馬稲子がつとめたことである。『赤い陣羽織』は以前勘三郎が芝居で主役の代官を演じて好評だったため、映画でも同じ主役を演じることになったのだが、勘三郎はこれが映画初出演であった。有馬の役は水車小屋の百姓の女房で、美しい有馬に惚れた勘三郎が有馬を手籠めにしようとして失敗するといった一種の喜劇である。錦之助は、この映画の撮影後に勘三郎と会って話した時、勘三郎がしきりに有馬稲子と共演したことを自慢するので、羨ましいのを通り越して、悔しい思いを味わっていた。「ネコちゃんって、実にいい女なんだよなあ」などと、叔父が年甲斐もなく鼻の下を伸ばし、有馬稲子のことを愛称で呼ぶのを聞いて、内心「チクショー!」と思っていた。今年の9月下旬、『赤い陣羽織』が封切られると、すぐに錦之助は映画館へ見に行った。あまり笑えない映画で、芝居のほうがずっと面白かったと思った。そして、勘三郎に電話をして、手厳しい批評を浴びせて、留飲を下げたのだった。

「早く有馬さんに連絡して、訊いてみろよ」
 三喜雄は来年早々有馬とコンタクトを取って、交渉してみようかと思っていると言うと、せっかちな錦之助は手帖を取り出し、ぺらぺらめくりながら、
「善は急げだよ。あった、あった、電話番号」と言って、にっこり笑った。
 まだ心の準備ができていない三喜雄はあわてて、
「おい、今すぐ電話するのか。仕事納めで、もう有馬さんの事務所、やってないよ」
「いや、これ自宅の電話番号なんだよ。有馬さん、いるかもしれないよ」
「えっ、おまえ、なんで番号、知ってるんだよ」
「前に有馬さんと雑誌で対談したことがあったじゃないか」
「ああ、ずいぶん前だったな」
「そのあと有馬さんの家へ行ってご馳走になってさ。その時、また会いましょうって教えてくれたんだよ。結局、それっきりになっちゃったんだけど……」
(つづく)



『浪花の恋の物語』(その9)

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 話は3年あまり前にさかのぼる。
 錦之助が有馬稲子と初めて会ったのは、昭和30年10月半ば、場所は築地の料亭であった。東京に台風が吹き荒れた日の夕刻、月刊誌「近代映画」の依頼で急きょ有馬と対談することになったのだ。
 男女の出会いというのは不思議なもので、もし台風が来なければこの日の対談は実現せず、二人の出会いはずっとあとになるか、あるいはまったく違った形になって、互いに惹かれ合うこともなく終わっていたかもしれない。
 錦之助は、10月初めに京都で『続・獅子丸一平』を撮り終え、久しぶりに東京の実家へ帰って休暇中であった。この日の午前中は台風で外へも出られず退屈していた。そこへ、近代映画社の写真家の三浦波夫から電話が入った。午後には台風も通り過ぎるそうなので、良かったら撮影に付き合ってくれませんかと三浦が言うので、錦之助は退屈しのぎにオーケーした。来年の正月号に掲載するグラビア写真の撮影だった。場所はどこにしようかと訊くので、錦之助は銀座がいいと言った。錦之助は大好きな銀ブラを多分人通りの少ない台風一過にしてみたくなったのだ。
 三浦と待ち合わせの時間と場所を決めて、錦之助は電話を切った。するとしばらくして、今度は小山編集長から電話が入った。今日、もう一つ、ぜひともお願いしたいことがあるのですが、と言う。写真撮影が終わったあと、夕方から女優の有馬稲子さんと対談してもらえないかという申し出であった。有馬さんも今日は台風でクランク中の映画の撮影が中止になったので世田谷の自宅にいて、錦之助さんとの対談なら喜んでそちらへ出向くと言っているとのことだった。
 座談会や対談が嫌いで、ことに初対面の相手との対談はほとんど断ってきた錦之助ではあったが、映画の宣伝にいつも協力してくれる「近代映画」の依頼でもあり、また、なにかと話題に上る有馬稲子という個性的な美人女優に一度は会ってみたいという気持ちもあって、錦之助は快諾したのだった。
 当時有馬は、「近代映画」誌上で「ネコちゃん対談」というページを受け持ち、人気スターの聞き手を務め始めていた。この連続対談は昭和30年11月号から始まり、第一回のゲストは佐田啓二、12月号に掲載予定の第二回は江利チエミだった。二人とも有馬が希望した相手で、二回分の対談はすでに済ませていた。佐田は有馬が映画で何度か共演している俳優であり、チエミの歌は有馬も好きでよく聴いていたので、まだ聞き手役に慣れない有馬もこの二人とは打ち解けて話をすることができた。そして、来年の新春号に掲載する第三回「ネコちゃん対談」のゲストは誰にしようかと編集部で協議していたところに、錦之助という願ってもない相手が絶好のタイミングで登場したのである。(つづく)


『浪花の恋の物語』(その10)

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 その日の昼過ぎ、まだ風雨の強い中、錦之助は濃紺のスーツにネクタイを締めて、銀座へ向かった。グラビア写真の撮影だけなら普段着にジャンバーで済ますところだが、珍しく洋服の正装をしたのは、言うまでもなく有馬稲子に初めて対面するからである。
 写真家の三浦はいつもと違う錦之助を見て驚いたが、すぐに納得が行って、
「きょうはお見合いでもするみたいですな」と冗談を飛ばした。
 錦之助は照れながら、
「おふくろに言われたんだよ、有馬さんに失礼のないように、きちんとした服装で行きなさいって」と言った。
 スーツ姿の錦之助は、大実業家の子息か華族の御曹司かと見まがうほどで、良家のどんな令嬢とお見合いしても合格間違いなしである。ただ三浦の見たところ、錦之助の頭髪がちょっといただけない。伸びた毛につやがなくボサボサなのだ。
「錦ちゃん、首から下はダンディな紳士なんだけど、その髪、なんとかなりませんかね。貧乏書生みたいで良くないなあ」
「わかったよ。行きゃいいんだろ、床屋へ」
 大の床屋嫌いな錦之助が、この日はどうしたわけか、妙に素直だった。三浦は早速、銀座にある馴染みの店へ錦之助を連れて行き、椅子に座らせると、カメラを手にした。



「ここから撮影開始と行きます。いいですね」
「もうまな板の鯉だ。なんとでもしてくれ!」
 洗髪、カット、ヒゲ剃り、調髪、その時々の錦之助の表情を三浦が順次カメラに納め、すっかりハンサムになった錦之助とともに理髪店を出たのは小一時間後だった。



 それから近くの誰もいない画廊喫茶で何枚か撮って、外へ出た。雨は小降りになっていたが、まだ風が強かった。スーツ姿の錦之助が傘を差しながら銀ブラしているところを撮っても絵にならない。しかし、傘がなければスーツも頭もずぶ濡れになってしまう。錦之助はあいにくレインコートを着て来なかった。すると錦之助はそれを察したのか、裏通りをスタスタ歩いていくと、行きつけの洋服屋へ飛び込んだ。銀座で有名なテーラー「ヤジマ」であった。店員に見立ててもらった英国製のレインコートとハンチング帽を試着するやいなや、錦之助は、「このまま着ていくから」と言って財布を出した。ついでに格子縞のシャレたネクタイを一本買った。有馬と対談する前に締めかえるつもりらしい。



 松坂屋の前の銀座通りは台風の日で閑散としていたが、撮影をしていると、どこからともなく錦之助に気づいた通行人たちが寄って来て、人だかりができ始めた。こうなると引き上げるしかない。そろそろ対談の時間が近づいてきたことでもあり、三浦はタクシーを拾って、錦之助と築地へ向かった。(つづく)


『浪花の恋の物語』(その11)

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 錦之助が銀座で写真撮影をしている間、有馬稲子は渋谷で映画を観ていた。封切られたばかりの錦之助主演の東映作品『獅子丸一平』(第一部)である。
 実はこれが、有馬が初めて見る錦之助の映画だった。錦之助との対談が急に決まって、聞き手役を務める有馬は、せめて最新作だけは見ておこうと思い、台風の中、映画館へ足を運んだのだ。
 有馬は映画女優としてこれまで時代劇に出演したことがなく、また、個人的にも時代劇をめったに見ることがなかった。正直言って、時代劇というのは古臭いという先入観があり、まったく興味がなかったのである。だから、錦之助のことは新聞や雑誌を読んでわずかに知っている程度で、実際錦之助がどんな俳優であるか何も知らないに等しかった。歌舞伎から映画界に入って、東映時代劇の主演俳優となり、あっという間に人気ナンバーワンの男優スターにのし上がった中村錦之助という若者は、有馬にとって、まるで別世界に住む存在であった。
 しかし、最近になって、錦之助という映画俳優に一度会ってみたいと思う気持ちが起こり、『獅子丸一平』という映画のことも気になっていた。それは、有馬が大変親しくしている女優の久我美子がこのところ時代劇づいて、「新平家物語」で市川雷蔵と共演し、そのあとすぐ『続・獅子丸一平』で錦之助と共演することになって、久我自身からいろいろな話を聞いていたからだった。ついこの間も、東映京都での撮影を済ませ東京に帰って来た久我と有馬は久しぶりに会って、話をしたばかりであったが、真っ先に話題に上ったのは錦之助のことだった。久我は錦之助によほど好印象を持ったらしく、仕事ぶりも人柄も褒めちぎるので、有馬もあきれてしまった。「錦之助に惚れちゃったんじゃない?」と訊くと、久我は真面目な顔をして、「会えば、ネコちゃんだって、きっと好きになるに決まってるわよ」と言った。その言葉が有馬の耳にはっきり残っていた。
 有馬が近代映画社からの突然の依頼を快く引き受けたのも、対談する相手が錦之助だったからで、ほかの相手ならすぐに断っていたにちがいない。
 有馬が見に行った『獅子丸一平』は第一部で、久我は出演していなかった。どうせなら錦之助と久我の共演を見たかったのだが、それはまた封切られてから見れば良いとして、有馬は何はともあれ、錦之助がどんな俳優かを自分の目で確かめに行ったのである。そして、獅子丸一平を演じている錦之助に、衝撃的とも言える強烈な印象を受けたのだった。
 錦之助の扮した獅子丸は、十五歳の前髪立ちの少年剣士であった。
 有馬は、まず、その目映いほどの美しさと凛々しさに驚き、颯爽とした容姿に目を見張った。錦之助が登場すると、画面がパッと輝いて、否応なく錦之助に目を引き付けられてしまう。スターの輝きはこういうものかと有馬は思った。それに、錦之助の身のこなしはキビキビしている上に、いかにも歌舞伎で修業してきただけあって、自然で優美に見える。セリフ回しはメリハリがあって、明瞭で歯切れもよい。また、主演俳優として自信にあふれ、思い切った演技なのである。途中、錦之助が裸になって滝に打たれるシーンがあったが、錦之助本人がやっていたのもすごいことだった。雨の中での立ち回りでも錦之助の気迫がひしひしと伝わって来る。
 有馬は、錦之助の魅力に惹かれ、錦之助の役者ぶりにすっかり感心してしまった。

 映画を見終わって、有馬は銀座へ行き、近代映画社へ寄って、編集長の小山と速記者の女性といっしょに対談の行われる築地の料亭へ向かった。
 座敷で錦之助がやって来るのを待っている間、有馬はいつになく落ち着かない気分であった。今スクリーンで見てきたばかりの俳優錦之助の印象があまりに強く、頭から消えないまま、すぐに錦之助本人に会うかと思うと、心の準備が出来なかったのである。(つづく)


『浪花の恋の物語』(その12)

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 何度か錦之助に会ったことのある小山編集長は、錦之助のことを「明るくて、ざっくばらんで感じのいい青年」と褒め、久我美子と同じように「きっとネコちゃんも気に入るよ」と言ってくれたが、こればかりは実際会ってみないと分からないと有馬は半信半疑に思っていた。いや、それよりも、あっちが自分のことを気に入るかどうかも問題である。だいたい、自分は久我ちゃんみたいに誰にでも好かれるタイプの女性ではなく、気が強いためどうも人当たりが悪く、思ったことをぶっきら棒に言って、人に嫌われてしまうことがある。このほうが心配だった。やはり、親しくしている俳優と対談したほうがずっと気が楽なのであるが、それでは対談に新鮮味がないし、あまり面白くないのかもしれない。もうこうなったら、初対面の錦之助に嫌われようが構わず、突っ込んだ質問をズバズバして、はらはらするような対談にしてやろうと、ようやく有馬は度胸を決めたのだった。
 対談の仕事ではいつもカジュアルな服装が多い有馬であるが、この日は初対面で独身男性の錦之助に会うということで、ちょっとおシャレをして、淡いグレー地にえんじ色の線模様が入った新調のツーピースを着ていた。トルコ石のイアリングを付け、化粧はほとんどせず、口紅を薄く塗っただけで、素顔に近い。それでも目千両で顔立ちの整った有馬は飛び切りの美人であった。

 錦之助が三浦波夫といっしょに現れた時、さすがの有馬も胸が高鳴った。三浦はずっと有馬の写真を撮ってきたカメラマンで、有馬も親しくしていた。その三浦が有馬に目配せしながら、待たせた詫びを言った。
 スーツ姿の錦之助は襖の前に正座して、両手をつき深々と頭を下げて、挨拶した。有馬もあわてて、座布団から下りて畳の上に正座し、挨拶を返す。
 互いに顔を上げると目と目が合った。わずか二、三秒の間だったが、二人とも無言のまま食い入るように見詰めあった。有馬は素顔の錦之助に獅子丸一平の顔を重ね合わせ、目の前にいるホンモノがスクリーンで見た美少年と同一人物だとは信じがたい思いに捕われていた。一方、錦之助はきょとんとしている有馬を美人だけど奇妙な表情をする女性だなあと思っていた。
 有馬が頭を掻きながら、言った。
「ヤだ、どうしよう。実物の錦之助さんって映画と全然印象が違うんで、頭が混乱しちゃった!」
 戸惑う有馬に、錦之助はにっこりと笑い、
「じゃ、止めちゃいましょう、このへんで」
 と言って腰を浮かせたので、二人は大笑いになった。
 有馬が床の間の前の上座に錦之助を座らせて、対談を始めようとすると、三浦が口を挟んだ。
「初めに写真を撮っちゃいましょう。僕は社に帰って、今日撮った写真を現像しておきたいんでね」
 そこで、早速、二人揃っての写真を撮ることになった。
 三浦が有馬に注文を出した。
「ネコちゃん、錦ちゃんと握手してもらえませんか」
「いいけど、ファンが怒るんじゃない」
 と有馬が言うと、すかさず錦之助が言った。
「かまいませんよ。だけど、嬉しいなあ、有馬さんの手を握り締めてきたって、みんなに吹聴しちゃおう」
 そこで、錦之助と有馬が仲良く寄り添い、固く手を握り合っている証拠写真と相成ったわけである。(つづく)



『浪花の恋の物語』(その13)

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 錦之助と有馬は、会ってわずか数分で互いに好感を持ち合った。それから二人の対談は、和気あいあいに一時間ほど続いた。
 有馬の用意してきた質問に対し、錦之助は率直に答え、さらに面白い打ち明け話を次から次へと話した。根が真面目でどんな冗談でも真に受けてしまいそうな有馬は、人をかつぐことが大好きな錦之助にとって、恰好の相手であった。
 この対談が掲載された「近代映画」(昭和31年1月号)から、その一部を紹介しよう。ただし、(  )内のト書きは筆者の補足である。

(対談が始まって、なぜか急に話題が酒のことになって)
有馬:お酒、相当召し上がるんですってね。
(錦之助は、そんなこと誰から聞いたんだろうと思いながら、ここは一つ、有馬の気を引いてやろうと、わざと暗い表情をして)
錦之助:ぼくはこう見えてもとても神経質なんですよ。会社にいてイヤなことがあるでしょ。いろいろありますね。
有馬:うん、あるわね。
錦之助:それがたまらなくなります、考えちゃって。京都にいるときなんか一人だから、それで飲んじゃうんですよ。それにお酒は好きだし、飲んでいろんなことを忘れたいし……。
(錦之助が一人寂しくバーの止まり木に腰かけて、グラスを傾けている姿が有馬の頭に浮かぶ。人気スターの孤独――この気持ちがよく分かる有馬、つい同情的になって)
有馬:ナニ酒?
錦之助:ちょっと泣きが入るんですよ。
有馬:酔うと、からむの?
錦之助:それもありますよ。
(有馬、親身になって心配している様子。錦之助、ここで男っぽいところも誇示しておこうと思い)
錦之助:道を歩いているでしょ。「なんだ、錦之助か」と言われても、普段は平気なんですよ。それが酒を飲んでいると、「このヤロー!」なんて言って、つっかかっちゃう。この間もちょっとやっちゃったんだけど……。
(錦之助、ゲンコツを握り締める。有馬、それを見て)
有馬:喧嘩っぱやいほうね。そんな感じだわ。
(錦之助、ボクシングでパンチを繰り出す真似をして)
錦之助:喧嘩はぼくに任してください!
(有馬、のけぞる。二人とも大笑いする)
有馬:ウワー、うっかりからめないじゃない!
(錦之助、下腹部に手を当て)
錦之助:まだ、こんなところにあざが残ってるんだけど……。
有馬:まあ殴られたの?
錦之助:ちょっとやっちゃいましてね。バーで飲んでいたんですよ。車でバックするのに三人後ろにいてどいてくれない。わざとどかないんだな。それから降りていって、「なんだ!」というわけです。
有馬:あらっ!
錦之助:「このヤロー!」と言うので、殴ったり、殴られたりしましたね。おまわりさんが来てつかまっちゃったんだけど……。
(二人、大笑いする)

 話を聞きながら有馬が目を丸くして驚いたり、腹をかかえて笑うので、錦之助は余計調子が上がって、持ち前の演技力とエンターテイナーぶりを発揮したのである。(つづく)


『浪花の恋の物語』(その14)

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 この日、錦之助と有馬が出会ったことは、のちに二人が大恋愛の末、結婚したことを考え合わせれば、まさに男と女の運命的な邂逅であった。しかし、それはあとになってから言えることで、この時は二人とも、まさかそんなことになろうとは、思ってもみなかったはずである。
 ただ、錦之助も有馬も、会う前よりはるかに相手のことについて関心を抱き、雑誌の対談のためではなく、二人だけでもっと気兼ねなく話し合いたいと感じていた。
 錦之助は明日の夜京都へ帰って、あさってからは『あばれ振袖』の撮影に取り掛かからなければならず、東京の実家で過ごした10日間の休暇も今日が最後の夜だった。一方、有馬は、現在クランク中の主演作品『胸より胸に』のロケ撮影が台風のため中止になって今日はオフであったが、明日からまた撮影を続けなければならない。
 対談が終わって、これでお別れとなれば、多忙な二人は、もうずっと会えないかもしれない。
「きょうはほんとに楽しかったなあ。このまま家に帰るのはもったいない気分なんで、ぼく、どこかで一杯ひっかけて帰るけど、どう、付き合わない?」
「ちょっとだけなら、いいけど……」
「じゃあ、行こう行こう!近くにいいとこ、あるんだよ」
「でも、酔っ払って、あたしにからまないでよ」
 築地の料亭を出ると、二人は、銀座のクラブへ行き、夜遅くまでグラスを傾け合いながら、語り明かしたのだった。

 錦之助と有馬が二度目に会ったのは、その二年後。昭和32年の夏、場所は神宮外苑であった。「平凡」のグラビアページの写真を錦之助が有馬と二人で撮った時である。
 有馬は、初めての時代劇、松竹京都作品『大忠臣蔵』で内匠頭夫人あぐり役を演じることになり、7月上旬、1週間ほど京都に滞在した。錦之助は有馬に、京都へ来たらあちこち案内すると約束していたのだが、あいにく錦之助はその期間、伊豆で『ゆうれい船』のロケ撮影中だったため、有馬に会えなかった。
 それで、二人は東京で会う約束をして、そのついでに写真撮影の仕事をいっしょにしたのだった。



 この日の午後、撮影が終わって、錦之助は神宮外苑から歩いて10分のところにある青山の実家へ有馬を招いた。お茶を飲みながら話をしていると、有馬が手料理を御馳走するから、自分の家に来ないかと誘った。そこで、錦之助の車で有馬の住む田園調布の新居へ行き、二人は夕食をともにした。
 錦之助と有馬はこの秋に『大成吉思汗』で共演するはずだったが、撮影が延期になって有馬が出演できなくなり、またこの映画自体、製作中止になってしまった。

 それから一年半ほど錦之助と有馬は会う機会がなく、映画俳優としてそれぞれ別の道を歩んできたのだが、機が熟したと言うか、ようやく映画で共演するチャンスがめぐって来たのである。(つづく)



『浪花の恋の物語』(その6)

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 初めは巨匠の前でかしこまっていた三喜雄も、だんだん打ち解けてきた。正座を崩さずニコニコしながら話を聴いている三喜雄を見て、吐夢が言った。
「いやあ、実は、錦之助君に対しては申し訳ないなと思っていたんです。『大菩薩峠』で3年間も宇津木兵馬をやらせてしまいましたからね。来年の春、完結篇を撮ってから、次は錦之助君の主演作をぜひ撮ってみたいと思っていたところに、この話が来たんで喜んでお引き受けした次第なんです。忠兵衛はまったく違った役になりますが、今の錦之助君なら十分演じられるでしょうし、大いに期待しているんですよ」
 そう言われて、三喜雄は、弟のことながら、嬉しさで胸がいっぱいになった。
「忠兵衛は錦之助がずっとやりたがっていた役ですし、内田先生の作品ということで、錦之助も大変喜んでいるんです。ぼくも同じ気持ちです」
 吐夢はほほ笑みながら、辻野のほうを見て、
「弟思いのプロデューサーがそばにいて、錦之助君も幸せですな。辻野君も全面的に協力してあげないといかんな」と言った。
 辻野は、自分に向けられた吐夢の言葉に、この企画を実現させろという吐夢の指示を感じとり、あわてて「はいっ」と答えた。
「ところで、相手役の梅川のほうですが、ひとり、考えてる女優がいるんです」
 辻野も三喜雄も思わず膝を乗り出し、吐夢の顔を覗き込んだ。
「ほー、だれですか?」と辻野が尋ねると、吐夢はちょっと照れくさそうな表情を浮かべながら、それでもきっぱりと言った。
「有馬稲子です」
「ああ」と辻野は言うと、合点がいったように首を縦に二、三度振った。
 三喜雄はハッとして、口をぽかんと開けたまま、すぐに有馬の顔を思い浮かべた。有馬には一度も会ったことがないので、雑誌のグラビアか何かの写真の顔である。そしてすぐに、錦之助が「有馬稲子と共演したいなあ」と何度も言っていたことを思い出したのである。
「この前の映画に少しだけ出てもらったんですが、なかなかファイトのあるいい女優でしてね」と吐夢が言った。
 その映画とは、今年の秋に吐夢が撮った『森と湖のまつり』(昭和33年11月26日公開)であった。アイヌと日本人の問題をテーマにした武田泰淳の長編小説を植草圭之助が脚色し、東映東京撮影所で製作した現代劇のカラー大作である。主演は高倉健、共演に三國連太郎、香川京子、中原ひとみ、藤里まゆみ、そして有馬稲子が特別出演した。吐夢は、高倉健の相手役として最初、左幸子を希望したが、日活の専属女優だった左は五社協定のため出演することができなかった。そこで有馬稲子を候補に上げ、出演交渉をしてもらったところ、北海道ロケが長期に及ぶことを有馬が聞いて、その役を辞退した。それで、久我美子に話が行ったが、久我もスケジュールの都合で出られず、最後に急きょ、香川京子に決まった。しかし、有馬は、吐夢のこの映画にぜひ出たいと思い、東京でのセット撮影ならオーケーして、一場面だけ特別出演したのである。釧路のスナックのマダムの役であった(この役は当初淡島千景を予定していたが、淡島が有馬に譲ったようだ)。(つづく)


『浪花の恋の物語』(その7)

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『森と湖のまつり』で有馬稲子が演じた鶴子という役は、内地人のアイヌ研究家との結婚に失敗し、札幌から釧路へ流れて、カバフト軒というスナックを営んでいるアイヌ女性だった。主役の高倉健はアイヌ民族運動の闘士・風森一太郎といい、鶴子は一太郎と元恋人同士だったことから、今でも腐れ縁で結びつき、カバフト軒は一太郎の隠れ家になっている。
 有馬がカバフト軒のマダムとして登場するシーンは、映画の前半の重要な部分で、香川京子、三國連太郎、高倉健が扮する主要な人物がここに集まって、後半の波瀾に満ちたドラマへと発展する契機となる場面であった。有馬は、一場面とはいえ、不幸な過去を持つ女の役を、持ち前の研究心と体当たりの演技で見事に演じ、監督の吐夢の期待に十分に応えたのだった。メークを工夫し、北海道弁を使いこなして、情熱的で気性の激しいアイヌ人の美女になりきった。
 このシーンの撮影は、東映東京撮影所のセットで行われたが、吐夢は、不器用ながら懸命に演じる有馬稲子という女優が大変気に入り、もう一度使ってみたいと思った。それで、梅川役にはまっ先に有馬を望んだのである。

 当時、有馬稲子は松竹と優先本数契約を結んでいた。一年に6本、松竹の映画に出演すれば、他社出演もオーケーという条件である。それで、東映東京の『森と湖のまつり』に出演することができたのだが、撮影に加わったのはわずか3日間であった。有馬クラスの主演級女優となるとスケジュールの調整が難しく、撮影が長期に及ぶ他社製作の大作にヒロイン役で出演するのは困難な状況にあった。有馬が所属するプロダクション「にんじんくらぶ」が製作した大作『人間の條件』6部作(小林正樹監督)に有馬はヒロイン役を切望したが、それができなかったのもこうした事情によるものだった。

 三喜雄と辻野は、吐夢の口から有馬稲子の名前が出た時、頷きもし、賛成もしたが、吐夢の家を辞去したあとになって、二人ともこれは大変なことになったと思った。今度の映画は東京ではなく京都で撮影する時代劇で、有馬の役は錦之助の相手役とはいえ、ほぼ同等の主役である。しかも、内田吐夢が監督する以上、撮影に一ヶ月以上かかることは間違いない。東京に住む有馬がオーケーするだろうか。たとえ有馬がオーケーしても、はたして松竹が承諾するだろうか。それも疑問である。
「ともかく、まずは有馬稲子に直接交渉してみるしかないだろうな。吐夢さんも意欲的だし、東映本社のほうは大川社長を説得して、オレが何とかするよ」と辻野が言った。
「じゃあ、有馬さんにはぼくがコンタクトをとってみますよ。スケジュールは来年の夏くらいでしょうかね」と三喜雄が尋ねた。
「そうだな。秋には仕上げて、できれば芸術祭参加作品にしたいけど……」
「そうなるといいですね」
 二人は映画の実現に向けて互いに頑張ろうと言って別れた。(つづく)


『浪花の恋の物語』(その8)

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 錦之助が沖縄公演を済ませて、東京・青山の実家へ帰って来たのは、年も押し詰まった12月29日であった。その日の夕方、錦之助は三喜雄から、内田監督が梅川役に有馬稲子を望んでいるということを聞いて、「えっ!」と大声を上げ、顔をほころばせた。錦之助自身、頭の片隅で有馬稲子の梅川を思い浮かべていたからだ。錦之助はこれまでずっと有馬との共演を望んでいた。そして、そろそろそのチャンスが巡ってくるのではないかと思っていた。最近、有馬が時代劇に出始めたこと、そして、この秋に内田吐夢監督の東映東京作品『森と湖のまつり』に有馬が出演して、東映とのつながりができたことが、錦之助に有馬との共演の予感を抱かせたのである。
 実は錦之助が有馬稲子と共演するチャンスは、これまで二度会ったが、いずれも実現しなかった。
 一度目は、錦之助初の現代劇映画『海の若人』(昭和30年)だったが、相手役の候補に上がった程度ですぐに流れてしまった。有馬は、錦之助を16歳か17歳と勘違いして、「私のほうが年上だから若いツバメみたいに見えるんじゃない」と冗談を言ったところ、それがいつのまにか「錦之助なんかと共演するのはイヤ!」ということになって報道されてしまったらしい。錦之助は京都新聞を読んでカチンと来て、「なんだ、同い年のくせに、お高くとまりやがって!」と思ったが、わざわざその記事を切り抜いてスクラップブックに貼ったのだという。第一印象は悪かったが、有馬稲子という女優に錦之助が強い関心を持ったのはこの時であろう。
 二度目は、マキノ雅弘が監督し、錦之助が若きジンギスカンを演じる予定だった東映東京作品『大成吉思汗(大ジンキスカン)』である。プロデューサーのマキノ光雄が錦之助の相手役に有馬を考えて交渉し、一度はオーケーをとったのだが、これも日程の都合で流れた。映画自体も昭和32年秋、撮影開始数日で中止になり、結局製作されないまま終わってしまったのだった。

「いいねえ。有馬さんなら申し分ないよ。兄貴、有馬さんに決めてくれよ」
 気の早い錦之助に兄の三喜雄も苦笑いしながら、
「そう簡単にはいかないよ。有馬さんがやりたがるかどうかも分からないし……」
「大丈夫だよ。叔父さんのつまんない相手役より、ずっとましさ」
 錦之助の言う叔父さんの相手役というのは、木下順二の民話劇を山本薩夫監督が映画化した時代劇『赤い陣羽織』(歌舞伎座映画製作、松竹配給)に叔父の中村勘三郎が主演して、そのマドンナ役を有馬稲子がつとめたことである。『赤い陣羽織』は以前勘三郎が芝居で主役の代官を演じて好評だったため、映画でも同じ主役を演じることになったのだが、勘三郎はこれが映画初出演であった。有馬の役は水車小屋の番人の女房で、美しい有馬に惚れた勘三郎が有馬をモノにしようとして失敗するといった一種の艶笑劇である。錦之助は、この映画の撮影後に勘三郎と会って話した時、勘三郎がしきりに有馬稲子と共演したことを自慢するので、羨ましいのを通り越して、悔しい思いを味わっていた。「ネコちゃんって、実にいい女なんだよなあ」などと、叔父が年甲斐もなく鼻の下を伸ばし、有馬稲子のことを愛称で呼ぶのを聞いて、内心「チクショー!」と思っていた。今年の9月下旬、『赤い陣羽織』が封切られると、すぐに錦之助は映画館へ見に行った。あまり笑えない映画で、芝居のほうがずっと面白かったと思った。そして、勘三郎に電話をして、手厳しい批評を浴びせて、溜飲を下げたのだった。

「早く有馬さんに連絡して、訊いてみろよ」
 三喜雄は来年早々有馬とコンタクトを取って、交渉してみようかと思っていると言うと、せっかちな錦之助は手帖を取り出し、ぺらぺらめくりながら、
「善は急げだよ。あった、あった、電話番号」と言って、にっこり笑った。
 まだ心の準備ができていない三喜雄はあわてて、
「おい、今すぐ電話するのか。仕事納めで、もう有馬さんの事務所、やってないよ」
「いや、これ自宅の電話番号なんだよ。有馬さん、いるかもしれないよ」
「えっ、なんで番号、知ってるんだよ」
「前に有馬さんと雑誌の仕事でいっしょになったことがあったじゃないか」
「ああ」
「そのあと有馬さんの家へ行ってご馳走になってさ。その時、また会いましょうって教えてくれたんだよ。結局、それっきりになっちゃったんだけど……」
(つづく)


『浪花の恋の物語』(その9)

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 話は3年あまり前にさかのぼる。
 錦之助が有馬稲子と初めて会ったのは、昭和30年10月半ば、場所は築地の料亭であった。東京に台風が吹き荒れた日の夕刻、月刊誌「近代映画」の依頼で急きょ有馬と対談することになったのだ。
 男女の出会いというのは不思議なもので、もし台風が来なければこの日の対談は実現せず、二人の出会いはずっとあとになるか、あるいはまったく違った形になって、互いに惹かれ合うこともなく終わっていたかもしれない。
 錦之助は、10月初めに京都で『続・獅子丸一平』を撮り終え、久しぶりに東京の実家へ帰って休暇中であった。この日の午前中は台風で外へも出られず退屈していた。そこへ、近代映画社の写真家の三浦波夫から電話が入った。午後には台風も通り過ぎるそうなので、良かったら撮影に付き合ってくれませんかと三浦が言うので、錦之助は退屈しのぎにオーケーした。来年の正月号に掲載するグラビア写真の撮影だった。場所はどこにしようかと訊くので、錦之助は銀座がいいと言った。錦之助は大好きな銀ブラを多分人通りの少ない台風一過にしてみたくなったのだ。
 三浦と待ち合わせの時間と場所を決めて、錦之助は電話を切った。するとしばらくして、今度は小山編集長から電話が入った。今日、もう一つ、ぜひともお願いしたいことがあるのですが、と言う。写真撮影が終わったあと、夕方から女優の有馬稲子さんと対談してもらえないかという申し出であった。有馬さんも今日は台風でクランク中の映画の撮影が中止になったので麻布の自宅にいて、錦之助さんとの対談なら喜んでそちらへ出向くと言っているとのことだった。
 座談会や対談が嫌いで、ことに初対面の相手との対談はほとんど断ってきた錦之助ではあったが、映画の宣伝にいつも協力してくれる「近代映画」の依頼でもあり、また、なにかと話題に上る有馬稲子という個性的な美人女優に一度は会ってみたいという気持ちもあって、錦之助は快諾したのだった。
 当時有馬は、「近代映画」誌上で「ネコちゃん対談」というページを受け持ち、人気スターの聞き手を務め始めていた。この連続対談は昭和30年11月号から始まり、第一回のゲストは佐田啓二、12月号に掲載予定の第二回は江利チエミだった。二人とも有馬が希望した相手で、二回分の対談はすでに済ませていた。佐田は有馬が映画で何度か共演している俳優であり、チエミの歌は有馬も好きでよく聴いていたので、まだ聞き手役に慣れない有馬もこの二人とは打ち解けて話をすることができた。そして、来年の新春号に掲載する第三回「ネコちゃん対談」のゲストは誰にしようかと編集部で協議していたところに、錦之助という願ってもない相手が絶好のタイミングで登場したのである。(つづく)


『浪花の恋の物語』(その10)

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 その日の昼過ぎ、まだ風雨の強い中、錦之助は濃紺のスーツにネクタイを締めて、銀座へ向かった。グラビア写真の撮影だけなら普段着にジャンバーで済ますところだが、珍しく洋服の正装をしたのは、言うまでもなく有馬稲子に初めて対面するからである。
 写真家の三浦はいつもと違う錦之助を見て驚いたが、すぐに納得が行って、
「きょうはお見合いでもするみたいですな」と冗談を飛ばした。
 錦之助は照れながら、
「おふくろに言われたんだよ、有馬さんに失礼のないように、きちんとした服装で行きなさいって」と言った。
 スーツ姿の錦之助は、大実業家の子息か華族の御曹司かと見まがうほどで、良家のどんな令嬢とお見合いしても合格間違いなしである。ただ三浦の見たところ、錦之助の頭髪がちょっといただけない。伸びた毛につやがなくボサボサなのだ。
「錦ちゃん、首から下はダンディな紳士なんだけど、その髪、なんとかなりませんかね。貧乏書生みたいで良くないなあ」
「わかったよ。行きゃいいんだろ、床屋へ」
 大の床屋嫌いな錦之助が、この日はどうしたわけか、妙に素直だった。三浦は早速、銀座にある馴染みの店へ錦之助を連れて行き、椅子に座らせると、カメラを手にした。



「ここから撮影開始と行きます。いいですね」
「もうまな板の鯉だ。なんとでもしてくれ!」
 洗髪、カット、ヒゲ剃り、調髪、その時々の錦之助の表情を三浦が順次カメラに納め、すっかりハンサムになった錦之助とともに理髪店を出たのは小一時間後だった。



 それから近くの誰もいない画廊喫茶で何枚か撮って、外へ出た。雨は小降りになっていたが、まだ風が強かった。スーツ姿の錦之助が傘を差しながら銀ブラしているところを撮っても絵にならない。しかし、傘がなければスーツも頭もずぶ濡れになってしまう。錦之助はあいにくレインコートを着て来なかった。すると錦之助はそれを察したのか、裏通りをスタスタ歩いていくと、行きつけの洋服屋へ飛び込んだ。銀座で有名なテーラー「ヤジマ」であった。店員に見立ててもらった英国製のレインコートとハンチング帽を試着するやいなや、錦之助は、「このまま着ていくから」と言って財布を出した。ついでに格子縞のシャレたネクタイを一本買った。有馬と対談する前に締めかえるつもりらしい。



 松坂屋の前の銀座通りは台風の日で閑散としていたが、撮影をしていると、どこからともなく錦之助に気づいた通行人たちが寄って来て、人だかりができ始めた。こうなると引き上げるしかない。そろそろ対談の時間が近づいてきたことでもあり、三浦はタクシーを拾って、錦之助と築地へ向かった。(つづく)


『浪花の恋の物語』(その11)

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 錦之助が銀座で写真撮影をしている間、有馬稲子は渋谷で映画を観ていた。封切られたばかりの錦之助主演の東映作品『獅子丸一平』(第一部)である。
 実はこれが、有馬が初めて見る錦之助の映画だった。錦之助との対談が急に決まって、聞き手役を務める有馬は、せめて最新作だけは見ておこうと思い、台風の中、映画館へ足を運んだのだ。
 有馬は映画女優としてこれまで時代劇に出演したことがなく、また、個人的にも時代劇をめったに見ることがなかった。正直言って、時代劇というのは古臭いという先入観があり、まったく興味がなかったのである。だから、錦之助のことは新聞や雑誌を読んでわずかに知っている程度で、実際錦之助がどんな俳優であるか何も知らないに等しかった。歌舞伎から映画界に入って、東映時代劇の主演俳優となり、あっという間に人気ナンバーワンの男優スターにのし上がった中村錦之助という若者は、有馬にとって、まるで別世界に住む存在であった。
 しかし、最近になって、錦之助という映画俳優に一度会ってみたいと思う気持ちが起こり、『獅子丸一平』という映画のことも気になっていた。それは、有馬が大変親しくしている女優の久我美子がこのところ時代劇づいて、「新平家物語」で市川雷蔵と共演し、そのあとすぐ『続・獅子丸一平』で錦之助と共演することになって、久我自身からいろいろな話を聞いていたからだった。ついこの間も、東映京都での撮影を済ませ東京に帰って来た久我と有馬は久しぶりに会って、話をしたばかりであったが、真っ先に話題に上ったのは錦之助のことだった。久我は錦之助によほど好印象を持ったらしく、仕事ぶりも人柄も褒めちぎるので、有馬もあきれてしまった。「錦之助に惚れちゃったんじゃない?」と訊くと、久我は真面目な顔をして、「会えば、ネコちゃんだって、きっと好きになるに決まってるわよ」と言った。その言葉が有馬の耳にはっきり残っていた。
 有馬が近代映画社からの突然の依頼を快く引き受けたのも、対談する相手が錦之助だったからで、ほかの相手ならすぐに断っていたにちがいない。
 有馬が見に行った『獅子丸一平』は第一部で、久我は出演していなかった。どうせなら錦之助と久我の共演を見たかったのだが、それはまた封切られてから見れば良いとして、有馬は何はともあれ、錦之助がどんな俳優かを自分の目で確かめに行ったのである。そして、獅子丸一平を演じている錦之助に、衝撃的とも言える強烈な印象を受けたのだった。
 錦之助の扮した獅子丸は、十五歳の前髪立ちの少年剣士であった。
 有馬は、まず、その目映いほどの美しさと凛々しさに驚き、颯爽とした容姿に目を見張った。錦之助が登場すると、画面がパッと輝いて、否応なく錦之助に目を引き付けられてしまう。スターの輝きはこういうものかと有馬は思った。それに、錦之助の身のこなしはキビキビしている上に、いかにも歌舞伎で修業してきただけあって、自然で優美に見える。セリフ回しはメリハリがあって、明瞭で歯切れもよい。また、主演俳優として自信にあふれ、思い切った演技なのである。途中、錦之助が裸になって滝に打たれるシーンがあったが、錦之助本人がやっていたのもすごいことだった。雨の中での立ち回りでも錦之助の気迫がひしひしと伝わって来る。
 有馬は、錦之助の魅力に惹かれ、錦之助の役者ぶりにすっかり感心してしまった。

 映画を見終わって、有馬は銀座へ行き、近代映画社へ寄って、編集長の小山と速記者の女性といっしょに対談の行われる築地の料亭へ向かった。
 座敷で錦之助がやって来るのを待っている間、有馬はいつになく落ち着かない気分であった。今スクリーンで見てきたばかりの俳優錦之助の印象があまりに強く、頭から消えないまま、すぐに錦之助本人に会うかと思うと、心の準備が出来なかったのである。(つづく)


『浪花の恋の物語』(その12)

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 何度か錦之助に会ったことのある小山編集長は、錦之助のことを「明るくて、ざっくばらんで感じのいい青年」と褒め、久我美子と同じように「きっとネコちゃんも気に入るよ」と言ってくれたが、こればかりは実際会ってみないと分からないと有馬は半信半疑に思っていた。いや、それよりも、あっちが自分のことを気に入るかどうかも問題である。だいたい、自分は久我ちゃんみたいに誰にでも好かれるタイプの女性ではなく、気が強いためどうも人当たりが悪く、思ったことをぶっきら棒に言って、人に嫌われてしまうことがある。このほうが心配だった。やはり、親しくしている俳優と対談したほうがずっと気が楽なのであるが、それでは対談に新鮮味がないし、あまり面白くないのかもしれない。もうこうなったら、初対面の錦之助に嫌われようが構わず、突っ込んだ質問をズバズバして、はらはらするような対談にしてやろうと、ようやく有馬は度胸を決めたのだった。
 対談の仕事ではいつもカジュアルな服装が多い有馬であるが、この日は初対面で独身男性の錦之助に会うということで、ちょっとおシャレをして、淡いグレー地にえんじ色の線模様が入った新調のツーピースを着ていた。トルコ石のイアリングを付け、化粧はほとんどせず、口紅を薄く塗っただけで、素顔に近い。それでも目千両で顔立ちの整った有馬は飛び切りの美人であった。

 錦之助が三浦波夫といっしょに現れた時、さすがの有馬も胸が高鳴った。三浦はずっと有馬の写真を撮ってきたカメラマンで、有馬も親しくしていた。その三浦が有馬に目配せしながら、待たせた詫びを言った。
 スーツ姿の錦之助は襖の前に正座して、両手をつき深々と頭を下げて、挨拶した。有馬もあわてて、座布団から下りて畳の上に正座し、挨拶を返す。
 互いに顔を上げると目と目が合った。わずか二、三秒の間だったが、二人とも無言のまま食い入るように見詰めあった。有馬は素顔の錦之助に獅子丸一平の顔を重ね合わせ、目の前にいるホンモノがスクリーンで見た美少年と同一人物だとは信じがたい思いに捕われていた。一方、錦之助はきょとんとしている有馬を美人だけど奇妙な表情をする女性だなあと思っていた。
 有馬が頭を掻きながら、言った。
「ヤだ、どうしよう。実物の錦之助さんって映画と全然印象が違うんで、頭が混乱しちゃった!」
 戸惑う有馬に、錦之助はにっこりと笑い、
「じゃ、止めちゃいましょう、このへんで」
 と言って腰を浮かせたので、二人は大笑いになった。
 有馬が床の間の前の上座に錦之助を座らせて、対談を始めようとすると、三浦が口を挟んだ。
「初めに写真を撮っちゃいましょう。僕は社に帰って、今日撮った写真を現像しておきたいんでね」
 そこで、早速、二人揃っての写真を撮ることになった。
 三浦が有馬に注文を出した。
「ネコちゃん、錦ちゃんと握手してもらえませんか」
「いいけど、ファンが怒るんじゃない」
 と有馬が言うと、すかさず錦之助が言った。
「かまいませんよ。だけど、嬉しいなあ、有馬さんの手を握り締めてきたって、みんなに吹聴しちゃおう」
 そこで、錦之助と有馬が仲良く寄り添い、固く手を握り合っている証拠写真と相成ったわけである。(つづく)




『浪花の恋の物語』(その13)

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 錦之助と有馬は、会ってわずか数分で互いに好感を持ち合った。それから二人の対談は、和気あいあいに一時間ほど続いた。
 有馬の用意してきた質問に対し、錦之助は率直に答え、さらに面白い打ち明け話を次から次へと話した。根が真面目でどんな冗談でも真に受けてしまいそうな有馬は、人をかつぐことが大好きな錦之助にとって、恰好の相手であった。
 この対談が掲載された「近代映画」(昭和31年1月号)から、その一部を紹介しよう。ただし、(  )内のト書きは筆者の補足である。

(対談が始まって、なぜか急に話題が酒のことになって)
有馬:お酒、相当召し上がるんですってね。
(錦之助は、そんなこと誰から聞いたんだろうと思いながら、ここは一つ、有馬の気を引いてやろうと、わざと暗い表情をして)
錦之助:ぼくはこう見えてもとても神経質なんですよ。会社にいてイヤなことがあるでしょ。いろいろありますね。
有馬:うん、あるわね。
錦之助:それがたまらなくなります、考えちゃって。京都にいるときなんか一人だから、それで飲んじゃうんですよ。それにお酒は好きだし、飲んでいろんなことを忘れたいし……。
(錦之助が一人寂しくバーの止まり木に腰かけて、グラスを傾けている姿が有馬の頭に浮かぶ。人気スターの孤独――この気持ちがよく分かる有馬、つい同情的になって)
有馬:ナニ酒?
錦之助:ちょっと泣きが入るんですよ。
有馬:酔うと、からむの?
錦之助:それもありますよ。
(有馬、親身になって心配している様子。錦之助、ここで男っぽいところも誇示しておこうと思い)
錦之助:道を歩いているでしょ。「なんだ、錦之助か」と言われても、普段は平気なんですよ。それが酒を飲んでいると、「このヤロー!」なんて言って、つっかかっちゃう。この間もちょっとやっちゃったんだけど……。
(錦之助、ゲンコツを握り締める。有馬、それを見て)
有馬:喧嘩っぱやいほうね。そんな感じだわ。
(錦之助、ボクシングでパンチを繰り出す真似をして)
錦之助:喧嘩はぼくに任してください!
(有馬、のけぞる。二人とも大笑いする)
有馬:ウワー、うっかりからめないじゃない!
(錦之助、下腹部に手を当て)
錦之助:まだ、こんなところにあざが残ってるんだけど……。
有馬:まあ殴られたの?
錦之助:ちょっとやっちゃいましてね。バーで飲んでいたんですよ。車でバックするのに三人後ろにいてどいてくれない。わざとどかないんだな。それから降りていって、「なんだ!」というわけです。
有馬:あらっ!
錦之助:「このヤロー!」と言うので、殴ったり、殴られたりしましたね。おまわりさんが来てつかまっちゃったんだけど……。
(二人、大笑いする)

 話を聞きながら有馬が目を丸くして驚いたり、腹をかかえて笑うので、錦之助は余計調子が上がって、持ち前の演技力とエンターテイナーぶりを発揮したのである。(つづく)


『浪花の恋の物語』(その14)

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 この日、錦之助と有馬が出会ったことは、のちに二人が大恋愛の末、結婚したことを考え合わせれば、まさに男と女の運命的な邂逅であった。しかし、それはあとになってから言えることで、この時は二人とも、まさかそんなことになろうとは、思ってもみなかったはずである。
 ただ、錦之助も有馬も、会う前よりはるかに相手のことについて関心を抱き、雑誌の対談のためではなく、二人だけでもっと気兼ねなく話し合いたいと感じていた。
 錦之助は明日の夜京都へ帰って、あさってからは『あばれ振袖』の撮影に取り掛かからなければならず、東京の実家で過ごした10日間の休暇も今日が最後の夜だった。一方、有馬は、現在クランク中の主演作品『胸より胸に』のロケ撮影が台風のため中止になって今日はオフであったが、明日からまた撮影を続けなければならない。
 対談が終わって、これでお別れとなれば、多忙な二人は、もうずっと会えないかもしれない。
「きょうはほんとに楽しかったなあ。このまま家に帰るのはもったいない気分なんで、ぼく、どこかで一杯ひっかけて帰るけど、どう、付き合わない?」
「ちょっとだけなら、いいけど……」
「じゃあ、行こう行こう!近くにいいとこ、あるんだよ」
「でも、酔っ払って、あたしにからまないでよ」
 築地の料亭を出ると、二人は、銀座のクラブへ行き、夜遅くまでグラスを傾け合いながら、語り明かしたのだった。

 錦之助と有馬が二度目に会ったのは、その二年後。昭和32年の夏、場所は神宮外苑であった。「平凡」のグラビアページの写真を錦之助が有馬と二人で撮った時である。
 有馬は、初めての時代劇、松竹京都作品『大忠臣蔵』で内匠頭夫人あぐり役を演じることになり、7月上旬、1週間ほど京都に滞在した。錦之助は有馬に、京都へ来たらあちこち案内すると約束していたのだが、あいにく錦之助はその期間、伊豆で『ゆうれい船』のロケ撮影中だったため、有馬に会えなかった。
 それで、二人は東京で会う約束をして、そのついでに写真撮影の仕事をいっしょにしたのだった。



 この日の午後、撮影が終わって、錦之助は神宮外苑から歩いて10分のところにある青山の実家へ有馬を招いた。お茶を飲みながら話をしていると、有馬が手料理を御馳走するから、自分の家に来ないかと誘った。そこで、錦之助の車で有馬の住む田園調布の新居へ行き、二人は夕食をともにした。
 錦之助と有馬はこの秋に『大成吉思汗』で共演するはずだったが、撮影が延期になって有馬が出演できなくなり、またこの映画自体、製作中止になってしまった。

 それから一年半ほど錦之助と有馬は会う機会がなく、映画俳優としてそれぞれ別の道を歩んできたのだが、機が熟したと言うか、ようやく映画で共演するチャンスがめぐって来たのである。(つづく)


続『浪花の恋の物語』(その1)

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 昭和33年の年も押し詰まった師走の29日、錦之助は南青山の実家から有馬稲子の田園調布の家へ電話を入れた。近松の「梅川・忠兵衛」を映画でいっしょにやらないかと話を持ちかけたのだ。監督は内田吐夢、脚本は成沢昌茂、プロデューサーは兄の三喜雄だということ、そして、監督も自分も梅川役には有馬稲子を望んでいることを伝えた。それを聞いて有馬は喜び、ぜひやってみたいと答えた。有馬が大乗り気なので錦之助も喜び、それなら、1月4日か5日にでも兄貴を交えて直接会って打ち合わせをしようということになり、また連絡する約束をして電話を切った。
 三喜雄はすぐに、笹塚の本宅にいる内田吐夢に連絡をとり、有馬が快諾したことと、錦之助が京都へ帰る前に二人で有馬と会うことになったことを伝えた。すると吐夢は5日なら東映本社へ行く用事があるので、会談に顔を出してもいいと言った。監督が来てくれればこれほど心強いことはない。そこで、有馬、錦之助、吐夢、三喜雄の四人が正月早々異例の会談を行なう運びとなったわけである。
 有馬は5日新橋演舞場で歌舞伎を観る予定があり、昼の休憩に劇場を抜け出して打ち合わせに行くことにした。錦之助のほうは有馬に会ってからその足で三喜雄とともに羽田へ向かい、大阪着の飛行機で京都へ帰ることになった。
 会談の場所は有楽町の中華料理店で、内田吐夢の馴染みの店であった。鈴木尚之が一役買って、個室を予約し、映画関係者に知られないように密談の手はずを整えた。有馬は当時松竹と優先本数契約を結んでいた女優であり、とくに松竹関係者には絶対知られないように注意を払った。
 鈴木尚之の「私説内田吐夢伝」に、この秘密会談についての記述があるので、引用しておこう。

――有馬との間で隠密裏に話がすすめられ、出演交渉の日どりがきまった。某日、観劇のため新橋演舞場へおもむく有馬をつかまえて、他の場所で待機する吐夢と錦之助がむかえるという筋書きできあがったのである。問題は誰がその段取りをつけるかにあったが、とにかく松竹側に面が割れていない人物が適切であるという考えから、私に白羽の矢が立った。
 そして当日である。観劇の途中からぬけだしてきた有馬を、待たせてあったハイヤーに乗せると、有楽町の中華料理店へ急いだのである。

 鈴木の記述では、会談の日がいつ頃だったのかが不明で、そこに三喜雄がいたかどうかも分からない。しかし、1月以降の錦之助の日誌を読むと、錦之助は1月5日に京都へ帰り、以後『美男城』の撮影がずっと続いて、1月中は一度も東京に戻っていない。錦之助が帰京するのは2月5日で、これはブルーリボン賞の授賞式に出席するためで、その日の夜にすぐ京都へ帰っている。2月8日に『美男城』がクランクアップして数日間の休暇に入るが、この時錦之助は後援会誌「錦」2月号の巻頭文を書いて、有馬稲子と「浪華の恋の物語」(のちに「浪花」に変更)で共演することを発表している。つまり、2月初めまでには有馬の出演が内定し、タイトルも決まったことになる。錦之助が有馬に連絡をとり、吐夢と三喜雄を加えて秘密会談を行ったのは、錦之助が東京にいた12月29日から1月5日までの間だったことは間違いあるまい。
 鈴木がこの本を執筆したのは、当時から三十数年後のことであり、記憶もあいまいで、間違いも目立つが、水面下で有馬への出演交渉が行われ、鈴木が案内役を務め、有馬を新橋演舞場から有楽町の中華料理店までハイヤーで連れて行き、錦之助と吐夢に引き合わせたことは確かにちがいない。ただし、鈴木自身はこの会談に同席しなかったと思う。(この頃鈴木尚之は、吐夢と親しくしていたとはいえ、東映企画本部の一社員にすぎなかったからである)

「私説内田吐夢伝」で今挙げた引用箇所の続きはこうなっている。

――有馬は吐夢とはすでに『森と湖のまつり』をとおして面識があったが、錦之助とは初対面であった。この出演交渉がスムーズにはこんだことは、のちにふたりの結婚というハプニングを生むことになったことからも、容易に窺い知ることができよう。
 
 鈴木は「錦之助とは初対面であった」と書いているが、これは全くの誤りである。錦之助と有馬は、それまでに雑誌の仕事というおおやけの場で二度会っている。初めて会ったのは昭和30年10月半ば、築地の料亭で雑誌「近代映画」の対談をした時であり、二度目は昭和32年夏、神宮外苑で「平凡」のグラビア写真を二人で撮影した時である。(初対面で錦之助と有馬が意気投合したことはすでに書いた)


続『浪花の恋の物語』(その2)

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 小一時間ほどの秘密会談で吐夢と錦之助が有馬に梅川役を懇請し、プロデューサーの三喜雄が大川博東映社長の意を伝え、正式に出演依頼したのだと思われる。大川博は、3年前、有馬が初めて出演した東映作品『息子の縁談』を見て、有馬のファンになってしまい、有馬の東映作品出演を常に望んでいるほどだった。錦之助との共演に対しても喜んで賛成し、有馬をVIP待遇で招くつもりだった。有馬は感激し、梅川役を喜んで引き受け、吐夢の音頭で乾杯があり、その後は打ち解けて楽しい会食となったはずである。
 しかし、問題は、有馬が個人的に出演をオーケーしても、松竹本社が他社出演を了承するかどうかであった。当時有馬は一般には松竹の女優と見なされていたが、松竹と専属契約を結んでいたわけではなかった。有馬が松竹と結んでいたのは、年間6本の優先本数契約だった。優先本数契約というのは、主演級のスター俳優を映画会社が囲い込むため、自社が製作する映画に一年間に俳優が出演する最低本数を決めた契約で、1本の出演料も決まっていた。有馬は1本200万円だった。女優としてはトップクラスの高額である。ただし、優先本数契約の場合は月給がなく、ここが、出演料の他に専属料として一定額を毎月支給される専属契約と違っていた。また、専属契約では五社協定(ないし六社協定)によって他社出演を禁止されていたが、優先本数契約では撮影日程などで支障のない限り他社出演も可能であった。
 有馬と松竹との契約条件には互いの了承があれば他社出演も2本まで許可するいう条項も入っていたのだが、実際に松竹以外の映画に出演するとなると大変だった。松竹側が容易には承諾せず、いろいろな要求を突き付けてきたからだ。
 昨年(昭和33年)有馬は他社製作の映画に2本出演したが、松竹本社の要求で思い通りにならず、妥協する結果になってしまった。その2本とは、内田吐夢監督の東映作品『森と湖のまつり』と、にんじんくらぶ製作、小林正樹監督の『人間の條件 第一部・第二部』(公開は昭和34年1月15日)であるが、どちらも有馬は主演ではなく助演であった。実は2本の映画ともヒロイン役を依頼され、有馬自身もそれを望んだのだが、松竹本社に反対され、他の女優に譲らざるを得なかったのである。『森と湖のまつり』のヒロイン役は香川京子に代わり、有馬は特別出演という形になった。有馬はスナックのマダム役(主役の高倉健の元恋人)で出番はワンシーンだけ、セット撮影は夏のわずか3日間で終わった。とはいえ、有馬は、吐夢が感心するほど熱演し、映画公開後も有馬の演技は好評を博した。『人間の條件』は有馬が所属するにんじんくらぶの製作であったにもかかわらず、宝塚の先輩新珠三千代がヒロイン役を演じ、有馬は中国人娼婦の役になり、中国語のセリフを吹き替えなしでしゃべり、熱演している。女優として主演できなかった悔しさを、与えられた役にぶつけたのだろう。
 そうしたこともあって、有馬は今度の東映作品の梅川役をどうしてもやりたいと思い、松竹と直談判してあくまでも自分の主張を通そうと決心したのだった。


続『浪花の恋の物語』(その3)

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 東映から梅川役のオファーを受けて間もなく、有馬は松竹本社へ城戸四郎社長に会いに行った。昭和34年度(4月から翌年3月まで)の契約更改の前に、社長の了解を得ておこうと思ったのである。
 有馬が話を切り出すと、城戸は顔に不快な表情を浮かべ、内田吐夢監督の東映作品に錦之助の相手役で出演することは承諾できない、断ってくれと言下に答えた。これは有馬も予想していたことだったが、他社出演の契約条件を盾に、有馬も主張を曲げず、結局物別れになってしまった。
 しかし、松竹の側からすれば、有馬の今回の東映出演を了承しないのも当然であった。有馬は、東宝から移籍して以来4年間、松竹が特別扱いしてきた女優であり、映画に出れば集客力を見込める数少ないスターの一人だった。昭和32年春、松竹生え抜きのスター女優だった岸恵子が松竹を辞め、5月にイブ・シャンピ監督と結婚してフランスへ行ってしまった後、有馬が松竹のトップ女優になった。岸と入れ替わるように松竹は東宝を辞めた岡田茉莉子と優先本数契約を結び、女優陣を補強するが、人気という点では岡田より有馬の方が上であった。それだけに松竹は有馬の要望にできる限り応え、昨年は特別に吐夢監督の東映作品に出演することを許したのである。それが、また同じ吐夢監督の東映作品で今度は錦之助の相手役をやらせてほしいと言ってきたのは、城戸社長にとっても松竹の幹部にとっても心外な話で、図に乗るのもいい加減にしろと言いたいほどだった。幹部の中には、強硬手段に出て、再契約を解消すると有馬に迫れば、「ごてネコ」の有馬も(ネコは愛称で、ごてる(=ごねる)ことで製作者の評判が悪かった)引き下がるのではないかという意見を言う者さえいた。
 有馬の東映出演をめぐって松竹と軋轢が起こり、有馬の進退問題にまで発展しようとした時、最後の裁定を下したのが松竹の最高責任者、大谷竹次郎会長であった。



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