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Channel: 錦之助ざんまい
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続『浪花の恋の物語』(その3)

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 東映から梅川役のオファーを受けて間もなく、有馬は松竹本社へ城戸四郎社長に会いに行った。昭和34年度(4月から翌年3月まで)の契約更改の前に、社長の了解を得ておこうと思ったのである。
 有馬が話を切り出すと、城戸は顔に不快な表情を浮かべ、内田吐夢監督の東映作品に錦之助の相手役で出演することは承諾できない、断ってくれと言下に答えた。これは有馬も予想していたことだったが、他社出演の契約条件を盾に、有馬も主張を曲げず、結局物別れになってしまった。
 しかし、松竹の側からすれば、有馬の今回の東映出演を了承しないのも当然であった。有馬は、東宝から移籍して以来4年間、松竹が特別扱いしてきた女優であり、映画に出れば集客力を見込める数少ないスターの一人だった。昭和32年春、松竹生え抜きのスター女優だった岸恵子が松竹を辞め、5月にイブ・シャンピ監督と結婚してフランスへ行ってしまった後、有馬が松竹のトップ女優になった。岸と入れ替わるように松竹は東宝を辞めた岡田茉莉子と優先本数契約を結び、女優陣を補強するが、人気という点では岡田より有馬の方が上であった。それだけに松竹は有馬の要望にできる限り応え、昨年は特別に吐夢監督の東映作品に出演することを許したのである。それが、また同じ吐夢監督の東映作品で今度は錦之助の相手役をやらせてほしいと言ってきたのは、城戸社長にとっても松竹の幹部にとっても心外な話で、図に乗るのもいい加減にしろと言いたいほどだった。幹部の中には、強硬手段に出て、再契約を解消すると有馬に迫れば、「ごてネコ」の有馬も(ネコは愛称で、ごてる(=ごねる)ことで製作者の評判が悪かった)引き下がるのではないかという意見を言う者さえいた。
 有馬の東映出演をめぐって松竹と軋轢が起こり、有馬の進退問題にまで発展しようとした時、最後の裁定を下したのが松竹の最高責任者、大谷竹次郎会長であった。




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