錦之助が銀座で写真撮影をしている間、有馬稲子は渋谷で映画を観ていた。封切られたばかりの錦之助主演の東映作品『獅子丸一平』(第一部)である。
実はこれが、有馬が初めて見る錦之助の映画だった。錦之助との対談が急に決まって、聞き手役を務める有馬は、せめて最新作だけは見ておこうと思い、台風の中、映画館へ足を運んだのだ。
有馬は映画女優としてこれまで時代劇に出演したことがなく、また、個人的にも時代劇をめったに見ることがなかった。正直言って、時代劇というのは古臭いという先入観があり、まったく興味がなかったのである。だから、錦之助のことは新聞や雑誌を読んでわずかに知っている程度で、実際錦之助がどんな俳優であるか何も知らないに等しかった。歌舞伎から映画界に入って、東映時代劇の主演俳優となり、あっという間に人気ナンバーワンの男優スターにのし上がった中村錦之助という若者は、有馬にとって、まるで別世界に住む存在であった。
しかし、最近になって、錦之助という映画俳優に一度会ってみたいと思う気持ちが起こり、『獅子丸一平』という映画のことも気になっていた。それは、有馬が大変親しくしている女優の久我美子がこのところ時代劇づいて、「新平家物語」で市川雷蔵と共演し、そのあとすぐ『続・獅子丸一平』で錦之助と共演することになって、久我自身からいろいろな話を聞いていたからだった。ついこの間も、東映京都での撮影を済ませ東京に帰って来た久我と有馬は久しぶりに会って、話をしたばかりであったが、真っ先に話題に上ったのは錦之助のことだった。久我は錦之助によほど好印象を持ったらしく、仕事ぶりも人柄も褒めちぎるので、有馬もあきれてしまった。「錦之助に惚れちゃったんじゃない?」と訊くと、久我は真面目な顔をして、「会えば、ネコちゃんだって、きっと好きになるに決まってるわよ」と言った。その言葉が有馬の耳にはっきり残っていた。
有馬が近代映画社からの突然の依頼を快く引き受けたのも、対談する相手が錦之助だったからで、ほかの相手ならすぐに断っていたにちがいない。
有馬が見に行った『獅子丸一平』は第一部で、久我は出演していなかった。どうせなら錦之助と久我の共演を見たかったのだが、それはまた封切られてから見れば良いとして、有馬は何はともあれ、錦之助がどんな俳優かを自分の目で確かめに行ったのである。そして、獅子丸一平を演じている錦之助に、衝撃的とも言える強烈な印象を受けたのだった。
錦之助の扮した獅子丸は、十五歳の前髪立ちの少年剣士であった。
有馬は、まず、その目映いほどの美しさと凛々しさに驚き、颯爽とした容姿に目を見張った。錦之助が登場すると、画面がパッと輝いて、否応なく錦之助に目を引き付けられてしまう。スターの輝きはこういうものかと有馬は思った。それに、錦之助の身のこなしはキビキビしている上に、いかにも歌舞伎で修業してきただけあって、自然で優美に見える。セリフ回しはメリハリがあって、明瞭で歯切れもよい。また、主演俳優として自信にあふれ、思い切った演技なのである。途中、錦之助が裸になって滝に打たれるシーンがあったが、錦之助本人がやっていたのもすごいことだった。雨の中での立ち回りでも錦之助の気迫がひしひしと伝わって来る。
有馬は、錦之助の魅力に惹かれ、錦之助の役者ぶりにすっかり感心してしまった。
映画を見終わって、有馬は銀座へ行き、近代映画社へ寄って、編集長の小山と速記者の女性といっしょに対談の行われる築地の料亭へ向かった。
座敷で錦之助がやって来るのを待っている間、有馬はいつになく落ち着かない気分であった。今スクリーンで見てきたばかりの俳優錦之助の印象があまりに強く、頭から消えないまま、すぐに錦之助本人に会うかと思うと、心の準備が出来なかったのである。(つづく)
実はこれが、有馬が初めて見る錦之助の映画だった。錦之助との対談が急に決まって、聞き手役を務める有馬は、せめて最新作だけは見ておこうと思い、台風の中、映画館へ足を運んだのだ。
有馬は映画女優としてこれまで時代劇に出演したことがなく、また、個人的にも時代劇をめったに見ることがなかった。正直言って、時代劇というのは古臭いという先入観があり、まったく興味がなかったのである。だから、錦之助のことは新聞や雑誌を読んでわずかに知っている程度で、実際錦之助がどんな俳優であるか何も知らないに等しかった。歌舞伎から映画界に入って、東映時代劇の主演俳優となり、あっという間に人気ナンバーワンの男優スターにのし上がった中村錦之助という若者は、有馬にとって、まるで別世界に住む存在であった。
しかし、最近になって、錦之助という映画俳優に一度会ってみたいと思う気持ちが起こり、『獅子丸一平』という映画のことも気になっていた。それは、有馬が大変親しくしている女優の久我美子がこのところ時代劇づいて、「新平家物語」で市川雷蔵と共演し、そのあとすぐ『続・獅子丸一平』で錦之助と共演することになって、久我自身からいろいろな話を聞いていたからだった。ついこの間も、東映京都での撮影を済ませ東京に帰って来た久我と有馬は久しぶりに会って、話をしたばかりであったが、真っ先に話題に上ったのは錦之助のことだった。久我は錦之助によほど好印象を持ったらしく、仕事ぶりも人柄も褒めちぎるので、有馬もあきれてしまった。「錦之助に惚れちゃったんじゃない?」と訊くと、久我は真面目な顔をして、「会えば、ネコちゃんだって、きっと好きになるに決まってるわよ」と言った。その言葉が有馬の耳にはっきり残っていた。
有馬が近代映画社からの突然の依頼を快く引き受けたのも、対談する相手が錦之助だったからで、ほかの相手ならすぐに断っていたにちがいない。
有馬が見に行った『獅子丸一平』は第一部で、久我は出演していなかった。どうせなら錦之助と久我の共演を見たかったのだが、それはまた封切られてから見れば良いとして、有馬は何はともあれ、錦之助がどんな俳優かを自分の目で確かめに行ったのである。そして、獅子丸一平を演じている錦之助に、衝撃的とも言える強烈な印象を受けたのだった。
錦之助の扮した獅子丸は、十五歳の前髪立ちの少年剣士であった。
有馬は、まず、その目映いほどの美しさと凛々しさに驚き、颯爽とした容姿に目を見張った。錦之助が登場すると、画面がパッと輝いて、否応なく錦之助に目を引き付けられてしまう。スターの輝きはこういうものかと有馬は思った。それに、錦之助の身のこなしはキビキビしている上に、いかにも歌舞伎で修業してきただけあって、自然で優美に見える。セリフ回しはメリハリがあって、明瞭で歯切れもよい。また、主演俳優として自信にあふれ、思い切った演技なのである。途中、錦之助が裸になって滝に打たれるシーンがあったが、錦之助本人がやっていたのもすごいことだった。雨の中での立ち回りでも錦之助の気迫がひしひしと伝わって来る。
有馬は、錦之助の魅力に惹かれ、錦之助の役者ぶりにすっかり感心してしまった。
映画を見終わって、有馬は銀座へ行き、近代映画社へ寄って、編集長の小山と速記者の女性といっしょに対談の行われる築地の料亭へ向かった。
座敷で錦之助がやって来るのを待っている間、有馬はいつになく落ち着かない気分であった。今スクリーンで見てきたばかりの俳優錦之助の印象があまりに強く、頭から消えないまま、すぐに錦之助本人に会うかと思うと、心の準備が出来なかったのである。(つづく)