『森と湖のまつり』で有馬稲子が演じた鶴子という役は、内地人のアイヌ研究家との結婚に失敗し、札幌から釧路へ流れて、カバフト軒というスナックを営んでいるアイヌ女性だった。主役の高倉健はアイヌ民族運動の闘士・風森一太郎といい、鶴子は一太郎と元恋人同士だったことから、今でも腐れ縁で結びつき、カバフト軒は一太郎の隠れ家になっている。
有馬がカバフト軒のマダムとして登場するシーンは、映画の前半の重要な部分で、香川京子、三國連太郎、高倉健が扮する主要な人物がここに集まって、後半の波瀾に満ちたドラマへと発展する契機となる場面であった。有馬は、一場面とはいえ、不幸な過去を持つ女の役を、持ち前の研究心と体当たりの演技で見事に演じ、監督の吐夢の期待に十分に応えたのだった。メークを工夫し、北海道弁を使いこなして、情熱的で気性の激しいアイヌ人の美女になりきった。
このシーンの撮影は、東映東京撮影所のセットで行われたが、吐夢は、不器用ながら懸命に演じる有馬稲子という女優が大変気に入り、もう一度使ってみたいと思った。それで、梅川役にはまっ先に有馬を望んだのである。
当時、有馬稲子は松竹と優先本数契約を結んでいた。一年に6本、松竹の映画に出演すれば、他社出演もオーケーという条件である。それで、東映東京の『森と湖のまつり』に出演することができたのだが、撮影に加わったのはわずか3日間であった。有馬クラスの主演級女優となるとスケジュールの調整が難しく、撮影が長期に及ぶ他社製作の大作にヒロイン役で出演するのは困難な状況にあった。有馬が所属するプロダクション「にんじんくらぶ」が製作した大作『人間の條件』6部作(小林正樹監督)に有馬はヒロイン役を切望したが、それができなかったのもこうした事情によるものだった。
三喜雄と辻野は、吐夢の口から有馬稲子の名前が出た時、頷きもし、賛成もしたが、吐夢の家を辞去したあとになって、二人ともこれは大変なことになったと思った。今度の映画は東京ではなく京都で撮影する時代劇で、有馬の役は錦之助の相手役とはいえ、ほぼ同等の主役である。しかも、内田吐夢が監督する以上、撮影に一ヶ月以上かかることは間違いない。東京に住む有馬がオーケーするだろうか。たとえ有馬がオーケーしても、はたして松竹が承諾するだろうか。それも疑問である。
「ともかく、まずは有馬稲子に直接交渉してみるしかないだろうな。吐夢さんも意欲的だし、東映本社のほうは大川社長を説得して、オレが何とかするよ」と辻野が言った。
「じゃあ、有馬さんにはぼくがコンタクトをとってみますよ。スケジュールは来年の夏くらいでしょうかね」と三喜雄が尋ねた。
「そうだな。秋には仕上げて、できれば芸術祭参加作品にしたいけど……」
「そうなるといいですね」
二人は映画の実現に向けて互いに頑張ろうと言って別れた。(つづく)
有馬がカバフト軒のマダムとして登場するシーンは、映画の前半の重要な部分で、香川京子、三國連太郎、高倉健が扮する主要な人物がここに集まって、後半の波瀾に満ちたドラマへと発展する契機となる場面であった。有馬は、一場面とはいえ、不幸な過去を持つ女の役を、持ち前の研究心と体当たりの演技で見事に演じ、監督の吐夢の期待に十分に応えたのだった。メークを工夫し、北海道弁を使いこなして、情熱的で気性の激しいアイヌ人の美女になりきった。
このシーンの撮影は、東映東京撮影所のセットで行われたが、吐夢は、不器用ながら懸命に演じる有馬稲子という女優が大変気に入り、もう一度使ってみたいと思った。それで、梅川役にはまっ先に有馬を望んだのである。
当時、有馬稲子は松竹と優先本数契約を結んでいた。一年に6本、松竹の映画に出演すれば、他社出演もオーケーという条件である。それで、東映東京の『森と湖のまつり』に出演することができたのだが、撮影に加わったのはわずか3日間であった。有馬クラスの主演級女優となるとスケジュールの調整が難しく、撮影が長期に及ぶ他社製作の大作にヒロイン役で出演するのは困難な状況にあった。有馬が所属するプロダクション「にんじんくらぶ」が製作した大作『人間の條件』6部作(小林正樹監督)に有馬はヒロイン役を切望したが、それができなかったのもこうした事情によるものだった。
三喜雄と辻野は、吐夢の口から有馬稲子の名前が出た時、頷きもし、賛成もしたが、吐夢の家を辞去したあとになって、二人ともこれは大変なことになったと思った。今度の映画は東京ではなく京都で撮影する時代劇で、有馬の役は錦之助の相手役とはいえ、ほぼ同等の主役である。しかも、内田吐夢が監督する以上、撮影に一ヶ月以上かかることは間違いない。東京に住む有馬がオーケーするだろうか。たとえ有馬がオーケーしても、はたして松竹が承諾するだろうか。それも疑問である。
「ともかく、まずは有馬稲子に直接交渉してみるしかないだろうな。吐夢さんも意欲的だし、東映本社のほうは大川社長を説得して、オレが何とかするよ」と辻野が言った。
「じゃあ、有馬さんにはぼくがコンタクトをとってみますよ。スケジュールは来年の夏くらいでしょうかね」と三喜雄が尋ねた。
「そうだな。秋には仕上げて、できれば芸術祭参加作品にしたいけど……」
「そうなるといいですね」
二人は映画の実現に向けて互いに頑張ろうと言って別れた。(つづく)